驢鞍橋 / 卷上
一日示して曰く、四民日用には浮ぶ沈むの機の位大筋を書く、草分にはこまかに心の用ゐ樣を書く也。義の段、願力の段、捨身の段、自己の段、此四段を能く見て用ふへし。實有を離るゝの段は、見性の分無くんは少しも用ゐらるへからす。
新字:一日示して曰く、四民日用には浮ぶ沈むの機の位大筋を書く、草分にはこまかに心の用ゐ様を書く也。義の段、願力の段、捨身の段、自己の段、此四段を能く見て用ふへし。実有を離るゝの段は、見性の分無くんは少しも用ゐらるへからす。
書き下し
一日示して曰く、四民日用には浮ぶ沈むの機の位大筋を書く、草分にはこまかに心の用ゐ様を書く也。義の段、願力の段、捨身の段、自己の段、此四段を能く見て用ふへし。実有を離るゝの段は、見性の分無くんは少しも用ゐらるへからす。
現代語訳
ある日示して言われた。『四民日用』には、浮かぶ心と沈む心の気迫の位の大筋を書いた。『草分』には、細かに心の用い方を書いた。義の段、願力の段、捨身の段、自己の段、この四段をよく見て用いなさい。実有を離れる段は、見性の分がなければ、少しも用いることはできない。
解説
正三が自分の著作の読み方を弟子に示す条である。『万民徳用』に収められた四民日用(武士・農民・職人・商人それぞれの日々の心得)には心の張りの大筋を、『草分』には心の細かな使い方を書いた、と。そして、義・願力・捨身・自己の四つの段をよく読めと勧める。一方で、実有を離れる段は、ある程度の悟りがなければ使えないと断っている。読む人の段階に応じて、どこから読むべきかを著者自身が示している貴重な証言である。
この章句が説くこと
四民日用草分著作段階読み方万民徳用
関連する章句
-
『驢鞍橋』卷上一日衆にかたつて曰く、此比去る女人我草分を見て、此前より修行の望み有りて様々法語等を見けれとも、取着いて修行すべき処なく、見るほと迷ひけるが、此草分を見てひしと取留めて修行のすべを慥に得たり。もはや筋は疑ひ無し、是れを修せぬと云ふ事有らんやと云ふたる人有り。今迄我書を見たる人の中に、是程見分けたる人無し。皆世間の仮名法語等と一つに見るつれ計り也。
-
『驢鞍橋』卷上一日僧問ふ。書し玉ふ処の草分等は、実有の見にあらすや。師答て曰く中々実有の見也。凡夫心は皆実有也。扨凡夫心を以て修せずして、何を以て修せんや。今時無の見に落ちて人を損ふ類多し。或は本来空也と澄し居るあり、是れ実に甚だしき也。総して菩提を求むる有心は、有を離るゝ事有り、本来空と心得居る無心は、有を離るゝ事なし。法然抔の念仏も有心也。然れども実有の浄土を造り立て念仏する中に、無念の徳備はる道理有り、今時元空也とすまし居る者は、修行せんと思ふも早や有の見也と云ふて、悪業を作り居るか如しと也。
-
『驢鞍橋』卷上一日去る者草分を誦み損するを呵して曰く、我文もつゞかされとも、汝等か為めに心の及ぶ程書曲げて置くに、年来左右に乍居、是れを見分けぬと云ふ様な、無道心なる事有らんや。扨もでかい恥不知哉。爰に有るは只我をたらして、飯を心安く喰はん為めか。其面にて我前に好く出づる事也。夫れげな心にて先々にて我を売り回り、我にも耻を与ふる也。乍去我耻はもはや二三年の耻也。汝か永劫閣魔の前の耻を顧みすや。扨々不義至極の者哉。
-
『驢鞍橋』卷下後世を願ふと云ふは、修し行して心老しく成り、物に碍らぬ様に用ゆること也。何としても初心にて心老しく成かたき物也。此の用には盲安杖が好き也。あれを見て、我には此の病有り、此の段を守て徳に至るべしと見るべき也。然れども盲安杖さへ左様に見る人なし。如是見ずんば、何返見ても益有るべからすと也。
-
『驢鞍橋』卷下一日、去る人に示して曰く、修行の心合と云ふではないが、平生の機の用ひ様を教へんと云つて示して曰く、何事を作さんと思ふとも、思ひ立つとその儘分別なしに作したるが好き也。後に抔と思ふも悪し。又余所へ行かしと思ふにも如是すべし。機の発すると其儘ふと出て行くべし。後にと思ふべからず。縦ひ雨降り雪降るとも、面白い雪哉、童の時分は、雪遊びせしものをと思ひ出つべし。万事如是無分別に仕習へば、殊外心の軽く成る物也。
-
『驢鞍橋』卷下正三は俗に在りし時の名乗也。出家の後、亦法名とす。本国は紀州熊野、生国は三州姓は穂積、鈴木氏の長子なり。先祖三州に至るに及んて、松平の幕下に属して弓箭の功を致すこと、師に至る迄数代也御大将一天を掌にし給ひて、武官隙あるに及んて遁世す。師述る所の書、万民徳用、麓草分、盲安杖、二人比丘尼、念仏草紙、破きりしたん、因果物語等也。以上の七部は、三宝の光を以て国土を照し、普く群生を度せんと欲す、師大願の至要也。