驢鞍橋 / 卷上
一日示して曰く、初心の人は先づ信心を祈り、咒陀羅尼をくりて身心を盡すが好き也。或は八句の陀羅尼を、十萬返も、二十萬返も、三十六萬返も唱へて業障を盡されば、志も進み眞實も起るへし。先づ能き御坊主を捨て、一向の土に成りて勤むへし。因に源長老に向て曰、御長老も楞嚴咒をせめて一藏誦みめされよ、少々の事にては御長老も捨るへからすと也。在家の男女隨分誦咒念佛して、師の院に就き、塔婆を立て供養す。因是得德者數を不知。
新字:一日示して曰く、初心の人は先づ信心を祈り、咒陀羅尼をくりて身心を尽すが好き也。或は八句の陀羅尼を、十万返も、二十万返も、三十六万返も唱へて業障を尽されば、志も進み真実も起るへし。先づ能き御坊主を捨て、一向の土に成りて勤むへし。因に源長老に向て曰、御長老も楞厳咒をせめて一蔵誦みめされよ、少々の事にては御長老も捨るへからすと也。在家の男女随分誦咒念仏して、師の院に就き、塔婆を立て供養す。因是得徳者数を不知。
書き下し
一日示して曰く、初心の人は先づ信心を祈り、咒陀羅尼をくりて身心を尽すが好き也。或は八句の陀羅尼を、十万返も、二十万返も、三十六万返も唱へて業障を尽されば、志も進み真実も起るへし。先づ能き御坊主を捨て、一向の土に成りて勤むへし。因に源長老に向て曰、御長老も楞厳咒をせめて一蔵誦みめされよ、少々の事にては御長老も捨るへからすと也。在家の男女随分誦咒念仏して、師の院に就き、塔婆を立て供養す。因是得徳者数を不知。
現代語訳
ある日示して言われた。初心の人は、まず信心を祈り、呪文や陀羅尼を繰り返し唱えて身心を尽くすのがよい。あるいは八句の陀羅尼を十万遍も、二十万遍も、三十六万遍も唱えて業障を尽くせば、志も進み、真実も起こるだろう。まず立派な御坊主の体面を捨て、ただの素人になって勤めなさい。ついでに源長老に向かって言われた。御長老も、せめて楞厳呪を一蔵分読みなさい。少々のことでは御長老の体面も捨てられないだろう、と。在家の男女も、よく呪文を唱え念仏をして、師の院に付いて塔婆を立てて供養した。これによって徳を得た者は数知れない。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『驢鞍橋』卷上一日老僧来りて法要を問ふ。師示して曰く、工夫修行成るへからす、只小庵に安居して昼夜経咒を誦し、無縁法界を吊ひ、日用を送らるべし。何と礼拝抔せらるゝや。彼人、中々三拝を仕ると云ふ。師曰、其つれにて何として真実起るべし、責めて五百礼も千礼も為し、身心を責めて業障を尽すへし。亦一生に成仏せんと思ふへからす。曠劫多生を懸けてする事也。何とぞ今度餓鬼畜生を出で責めて人間にならるへしと也。
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『驢鞍橋』卷上一日去る人西国巡礼を思ひ立ち、師を辞して曰く、此中承はる自己を守るの段、心得難し、弥示し給へ。師聞て曰、自己を守る事成るへからず、只念仏申して行脚すへし。又は油断無く咒陀羅尼をくり、何千返何万返と巡礼札に書付け、処々に打巡つて業障を尽すへし。其自己の沙汰先々にてしてくれめさるゝな、ふつゝと無用にめされよ。只乞食し仏行を作して業障を尽さるへし。少し意など移りたると云ふとも、業障を尽さねば何の用にも立たぬ物也。責めて死苦を受けぬ程に勤むべし。大略責められめされんず、愚に思ひめさるゝなと也。
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『驢鞍橋』卷上一日强く陀羅尼を誦する人来るに示して曰く、他念無く咒をくらるゝ事なにより好き事也。功を積まば業障尽き、病もぬけ寿も延び、心の苦も休み、臨終も正念なるべし、因に去る者曰く、某殿修行精に入られけるが、此比は機軽く体迄若やぎて見ゆると云ふ。師聞て曰く、中々さなくては、是非を思ふ念薄くなり、童に成るほとに若く見ゆへし。我も七十に余れとも、機また十八九にて居る也。
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『驢鞍橋』卷上一日示して曰く、初心行者はいかにもして真実起る様にすべし。真実起らざる先きに無理行抔し、强く坐禅抔すべからす。無理に根機を出し荒行抔すれは、性疲れ機へりて、何の用にも立たす、只在て果す也。何れも覚え有るへし気相悪き時は、常よりも心悪く成る物也。修行と云ふは機を養ひ立つる事也、故に古人も長養といへり。必ず機をへらすへからす。今時無理行をなし、亦ぬけから坐禅をなして、機へりて病者と成り、気違と成る者数を知らす。只志を進め真実を起すへしと也。
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『驢鞍橋』卷上一日近比の遁世者に示して曰く、如何様なる者も頭をすれば、早打上つて人に貴はれ、殊勝に成り、売僧に成り、徳有る御坊主の振をする也。今時の道心者皆此つれ計り也。其方も我法によらんと思はゞ、一向の土に成り、謙つて向上に眼を著けす、足元より修すべし。なまけた振をし、さも無き事を鼻に上げてありかんと思はゞ、出入無用也。
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『驢鞍橋』卷下同十八日、去る俗士来り、某今迄終に仏法承らす、油断者也と云つて法要を問ふ。師曰く、何くにても聞きめされぬか仕合也。若し聞きめされたらば、疾く悟て隙を明けめさるべし。総而聞きて合点して置くことに非す。只修し行して、少し宛も心の垢を抜くこと也。暗心も明く成り、弱心も强く成る様に修すること、先つ大すべを心得めされよと也。