驢鞍橋 / 卷上
一日去る侍に示して曰く、始めより忙敷中にて坐禪を仕習ふたるが好き也。殊に侍は鯨波の中に用ふる坐禪を仕習はで不叶、鐵鉋をばたばたと打立て、互に鑓先を揃へて、わつわつと云ふて亂れ逢ふ中にて、急度用ひて爰で使ふ事也。なにと靜なる處を好む坐禪が、加樣の處にて使はれんや。總して侍はなにと好き佛法なりと云ふとも、ときの聲の內にて用に立たぬ事ならは、捨たがよき也。然る間常住二王心を守習ふ外なし。扨初心の者二王心の外にて、萬事の上に使ふ事成るへからず。
新字:一日去る侍に示して曰く、始めより忙敷中にて坐禅を仕習ふたるが好き也。殊に侍は鯨波の中に用ふる坐禅を仕習はで不叶、鉄鉋をばたばたと打立て、互に鑓先を揃へて、わつわつと云ふて乱れ逢ふ中にて、急度用ひて爰で使ふ事也。なにと静なる処を好む坐禅が、加様の処にて使はれんや。総して侍はなにと好き仏法なりと云ふとも、ときの声の内にて用に立たぬ事ならは、捨たがよき也。然る間常住二王心を守習ふ外なし。扨初心の者二王心の外にて、万事の上に使ふ事成るへからず。
書き下し
一日去る侍に示して曰く、始めより忙敷中にて坐禅を仕習ふたるが好き也。殊に侍は鯨波の中に用ふる坐禅を仕習はで不叶、鉄鉋をばたばたと打立て、互に鑓先を揃へて、わつわつと云ふて乱れ逢ふ中にて、急度用ひて爰で使ふ事也。なにと静なる処を好む坐禅が、加様の処にて使はれんや。総して侍はなにと好き仏法なりと云ふとも、ときの声の内にて用に立たぬ事ならは、捨たがよき也。然る間常住二王心を守習ふ外なし。扨初心の者二王心の外にて、万事の上に使ふ事成るへからず。
現代語訳
ある日、ある侍に示して言われた。初めから忙しい中で坐禅を習ったのがよい。とりわけ侍は、鬨の声の中で用いる坐禅を習わなければならない。鉄砲をばたばたと撃ち立て、互いに槍先を揃えて、わあわあと言って乱れ合う中で、きっと用いて、そこで使うのである。どうして静かなところを好む坐禅が、このような場で使えようか。おおよそ侍は、どれほど良い仏法だといっても、鬨の声の中で役に立たないことなら、捨てたほうがよい。だから常に仁王の心を守り習うほかはない。さて、初心の者が仁王の心のほかに、万事の上で使うことはできないだろう。
解説
この章句が説くこと
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老子・第20章学を絶てば憂い無し。唯と阿と、相去ること幾何ぞ。善と悪と、相去ること若何。人の畏るる所は、畏れざるべからず。荒としてそれ未だ央きざるかな。衆人は熙熙として、太牢を享くるが如く、春に台に登るが如し。我れ独り泊としてそれ未だ兆さず、嬰児の未だ孩わざるが如し。儽儽として帰する所無きが若し。衆人は皆な余り有るに、我れ独り遺れたるが若し。我れは愚人の心なるかな、沌沌たり。俗人は昭昭たるに、我れ独り昏昏たり。俗人は察察たるに、我れ独り悶悶たり。澹としてそれ海の若く、飂として止まる所無きが若し。衆人は皆な以うる有るに、我れ独り頑にして鄙に似たり。我れ独り人に異なりて、母に食わるるを貴ぶ。
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