驢鞍橋 / 卷下
又曰く、常に身にうますべからす。濡袋の使、殺してくれんずと思ひ定て、身を打捨て使はるべし。總而若い衆能く心得めされよ。老婆は、も早色躰の役に各なし。心一つの勤め也。若い衆の色のうるはしきは、惡血多き故也。其證據には、あのお姥と其方達とならべて燒きたらば、其方抔臭かるべし。誠に婬欲一つも、大なる苦也。その故は、如是一座に双び居ても、その心なき者は樂也。扨てその心有る者は、增りて苦むに非すや。能く能く眞實を起し、如何なる惡因にて、拙き女性と生れ來るか、又生々如是にて有らんか、口惜き次第也と、佛前に於て大願を起して、今度此の身を救ひめされよ、縱ひ出離迄こそなくとも、せめて變成男子ほどにせずんば、人界に生を得たる甲斐無し。又一生に成佛すると云ふ道理も、疑ひ無きこと也。
新字:又曰く、常に身にうますべからす。濡袋の使、殺してくれんずと思ひ定て、身を打捨て使はるべし。総而若い衆能く心得めされよ。老婆は、も早色体の役に各なし。心一つの勤め也。若い衆の色のうるはしきは、悪血多き故也。其証拠には、あのお姥と其方達とならべて焼きたらば、其方抔臭かるべし。誠に婬欲一つも、大なる苦也。その故は、如是一座に双び居ても、その心なき者は楽也。扨てその心有る者は、增りて苦むに非すや。能く能く真実を起し、如何なる悪因にて、拙き女性と生れ来るか、又生々如是にて有らんか、口惜き次第也と、仏前に於て大願を起して、今度此の身を救ひめされよ、縦ひ出離迄こそなくとも、せめて変成男子ほどにせずんば、人界に生を得たる甲斐無し。又一生に成仏すると云ふ道理も、疑ひ無きこと也。
書き下し
又曰く、常に身にうますべからす。濡袋の使、殺してくれんずと思ひ定て、身を打捨て使はるべし。総而若い衆能く心得めされよ。老婆は、も早色体の役に各なし。心一つの勤め也。若い衆の色のうるはしきは、悪血多き故也。其証拠には、あのお姥と其方達とならべて焼きたらば、其方抔臭かるべし。誠に婬欲一つも、大なる苦也。その故は、如是一座に双び居ても、その心なき者は楽也。扨てその心有る者は、增りて苦むに非すや。能く能く真実を起し、如何なる悪因にて、拙き女性と生れ来るか、又生々如是にて有らんか、口惜き次第也と、仏前に於て大願を起して、今度此の身を救ひめされよ、縦ひ出離迄こそなくとも、せめて変成男子ほどにせずんば、人界に生を得たる甲斐無し。又一生に成仏すると云ふ道理も、疑ひ無きこと也。
現代語訳
また言われた。常に身を甘やかしてはならない。この濡れ袋を使い殺してやろうと思い定めて、身を打ち捨てて使いなさい。おおよそ若い衆はよく心得なさい。老婆は、もう色香の体の役には立たない。心一つの勤めである。若い衆の色つやが美しいのは、悪い血が多いからである。その証拠には、あのお婆さんとあなたたちを並べて焼いたら、あなたたちのほうが臭いだろう。まことに婬欲一つも、大きな苦である。そのわけは、このように一座に並んでいても、その心のない者は楽である。さてその心のある者は、ますます苦しむのではないか。よくよく真実を起こし、どのような悪因で拙い女性に生まれてきたのか、また生まれ変わってもこうであろうか、口惜しい次第だと、仏前で大願を起こして、このたびこの身を救いなさい。たとえ出離までいかなくとも、せめて変成男子ほどにしなければ、人間に生まれた甲斐がない。また一生のうちに成仏するという道理も、疑いのないことである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『驢鞍橋』卷下一日、去る老婆、若き女人五三人を相連立来て、後世の用心を問ふ。師示して曰く、我後世の願ひ様と云ふは、此の糞袋を秘蔵する念を申し消すべしと大願を立て、日夜强く念仏する計り也。時に一女曰く、左様に勤め候へば、何の徳有りや。師曰く、如是勤めては苦を離る也。総而後世を願ふと云ふは、死して後のことに非す、現に今苦を離れて大安楽に至ること也。然るにその苦は何より起ると思ふや。只此の身をかわゆかる念より起る也。此の身さへ無くんば、何か苦なるべき。故に此の身に離れたるを成仏とす。
-
『驢鞍橋』卷下其方抔、今の念の形、面に出したらば、如何様なる形ならんと思はるゝや、大略皆蛇の体計なるべし、浅ましきことに非ずや。然る間無念千万なること哉と、慚愧懺悔して力を出し、奥牙を咬み、拳を握て胸を扣き、身をつねり、憎い糞袋め哉と睨付て、南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と申すべし。少しも油断せば、我地獄は措き、あの女は善の悪の、誰れは憎い愛いと余所の妄想まで取り来り、胸の中に取込んて、我地獄と成る物也。返へす返へす願力强く起し、善悪ともに一念も胸に留めじと、五臓六腑を吐出して念仏申さるべし。
-
『驢鞍橋』卷下去る暁、衆中に向て曰く、扨てもたわけたこと哉、何の変も無い物を楽むこと也。立つも苦、居るも苦、熱も苦、寒も苦、痛も苦、痒も苦、病苦死苦有り、扨て又随ふを愛し、背くを怨み、扨て扨ていやな苦体哉。平生此の道理計を考へたるか能き也。誠に此の腐物に付で一として楽むべきこと無きか、何としても秘蔵にて居る也。
-
『驢鞍橋』卷下一日、去る女人来り曰く、我志は少し候へども、無智なるに仍て修行成し得すと云ふ。示して曰く、扨ても能き性哉、後世を願ふには、只土が好き也。智恵才覚も入らす、知つたほどのことは皆怨也。只一切の上に於て、我を捨て習ふこと一つ也。因に云ふ爰に去る女人有り、無智とこそ云へ、中々土な性なりけるが、我物語を聞き頓て真実起りたり。扨ても拙なき女人と成り、様々の悪念を胸に持て居ること哉。頓て死すべきが、此の念を離れず、此の儘死すべきかと思ふより、心切に成り、昼夜勤められければ、ひしと死苦に責め詰められ、大事一片と成り、姥共を集め、高念仏抔申し、万事を打忘て居る不思議の女仏法者有り、結句土の性が思付て好き也。其方も勢を出されよと也。
-
『驢鞍橋』卷下師一日、去る処に至り物語の次に曰く、人間の一生涯ほど詮なき物なし。如何なる病をか受け、如何なる死をか為し、まだ此の身に如何なる業か有らんす。扨て扨て大義の物哉也と。時に其処の内儀これを聞て、ひしと受けられたり。常々病者なるか、扨ても因果の業体を受け来ること哉。我身また如何なる業か有らんと思ふより、心切に成り、是非是非業を尽くさんと云つて、咒をくり経をよみ、身を扣きつねり、肉のつぐろ死するほどして、念仏経咒を以てひたせめに責められたり。十日ほど如是して、一晩、持仏堂にて罪業を懺悔し居られけれは、ふと死苦に責められ、その機抜けす、真実起る也。又業体を使ひ殺さんと云て人を使はす、我身を使ひ、扨てもいやな御上様やと云て、内の者どもと一つに働き、工夫一偏に勤むる人有り。去る程に頓て病も抜け、女気なく男の様にそ見えたり。師是れを真実の修行者とし給ふ也。
-
『驢鞍橋』卷上一日示して曰く、誰も憂き事に逢ふては死に度き事も有るべし。只栄耀にして機をへらし居られば、老ても命の惜き事は、若者と替りあるべからす。少々にして娑婆の隙明くべからず。其方達も十二時中眼をすゑ、拳を握り、せぼねを引立て、臍の下より勇猛の心湧出づる程に修すべしと也。