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驢鞍橋 / 卷下

一日、六十に餘る遁世者の云はく、もはや此の年になりては、大國の主と成ても、何に成ても詮なき也。師聞て曰く、扨ても惡き心得哉。其の世間の立身は、元より望なき所なれば、若くてもさこそあらんす。法意に於ては、朝に道を聞て夕に死すとも可也といへり誠に末後の夕になりとも、手を打拂つた如く、娑婆の隙明き了りならは、先つ今生の用調ひ終りたる也。

新字:一日、六十に余る遁世者の云はく、もはや此の年になりては、大国の主と成ても、何に成ても詮なき也。師聞て曰く、扨ても悪き心得哉。其の世間の立身は、元より望なき所なれば、若くてもさこそあらんす。法意に於ては、朝に道を聞て夕に死すとも可也といへり誠に末後の夕になりとも、手を打払つた如く、娑婆の隙明き了りならは、先つ今生の用調ひ終りたる也。

書き下し

一日、六十に余る遁世者の云はく、もはや此の年になりては、大国の主と成ても、何に成ても詮なき也。師聞て曰く、扨ても悪き心得哉。其の世間の立身は、元より望なき所なれば、若くてもさこそあらんす。法意に於ては、朝に道を聞て夕に死すとも可也といへり誠に末後の夕になりとも、手を打払つた如く、娑婆の隙明き了りならは、先つ今生の用調ひ終りたる也。

現代語訳

ある日、六十を越えた遁世者が言った。もうこの年になっては、大国の主となっても、何になっても甲斐がありません。師は聞いて言われた。さても悪い心得だな。世間の立身は、もとより望みのないところだから、若くてもそうであろう。法の意においては、朝に道を聞けば夕べに死んでもよい、と言っている。まことに最期の夕べになってでも、手を打ち払ったように、娑婆の暇が明き終わったなら、まず今生の用は調い終わったのである。

解説

六十を過ぎて、今さら何になっても甲斐がないと言う遁世者を、正三は、悪い心得だと叱る。世間の出世なら若くても望む必要はないが、道においては、論語に言う、朝に道を聞けば夕べに死んでもよい、である。最期の夕べであっても、この世への執着がきれいに払われれば、今生の務めは果たされる、と。年齢を理由に学びや成長を諦める人に、道に遅すぎることはないと、孔子の言葉を借りて励ます条である。

この章句が説くこと

晩学朝聞道年齢論語今生励まし

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