驢鞍橋 / 卷下
一日、僧來て曰く、此の五三日大に死苦迫て切也。何としてか此の苦を拂ふべきや。師便ち阿二王のまねをなして曰く、此の機を以て遣るべし。此の外に遣樣を知らすと也
新字:一日、僧来て曰く、此の五三日大に死苦迫て切也。何としてか此の苦を払ふべきや。師便ち阿二王のまねをなして曰く、此の機を以て遣るべし。此の外に遣様を知らすと也
書き下し
一日、僧来て曰く、此の五三日大に死苦迫て切也。何としてか此の苦を払ふべきや。師便ち阿二王のまねをなして曰く、此の機を以て遣るべし。此の外に遣様を知らすと也
現代語訳
ある日、僧が来て言った。この数日、ひどく死の苦しみが迫って切実です。どうすればこの苦しみを払えるでしょうか。師はすぐに阿形の仁王のまねをして言われた。この気迫で追いやりなさい。このほかに追いやり方を知らない、と。
解説
死の恐怖が迫って苦しい、どうすれば払えるか、と訴える僧に、正三は言葉で慰めることなく、その場で口を開いた仁王の姿をして見せ、この気迫で追い払え、それ以外の方法は知らない、と答える。恐怖に理屈で対抗するのではなく、身体全体の気迫で押し返す。正三の仁王禅の真骨頂である。不安に押し潰されそうなとき、考え込むより、まず姿勢と気迫を立て直すことが力になる、という実践的な答えである。
この章句が説くこと
仁王禅死の恐怖気迫姿勢不安示す
関連する章句
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『驢鞍橋』卷上一日僧問ふて云ふ、如何にしてか二王の機を修し出すべきや。師答て曰く、只死ぬ事を仕習ふべき也。我若き時大勢の敵の中へ、翅入り翅入りして死習ひけるが、是れは頓て入られたり。亦爰に二三人鎗を搆へて居る処に懸りて、胴腹を撞抜かれて死んで見るに死なれす、何としても入身に成り、其の頸を取り鎗を切折り抔して負けられず。如是さまざま死にならふとして此機を知る也。
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『驢鞍橋』卷上一日聚会の次で、一僧去る病体の和尚に向つて云く、悪病抔出でざる様になさるべし。若し悪病出でば、大に人の為めに怨と成るべし。師聞て曰く、扨も詮なき事を云ふ人かな、如何なる病をか受け、如何なる死をかせん。我人知られてこそ因果次第也。従今分別するとも争かあたらんや。唯今修する処にこそ詮議はあれ、後はひつてひり破つても、死にめされよ。只死しても奇麗にもをりないぞ、野に成りとも山に成りとも只捨てめされよと也。
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『驢鞍橋』卷下夜話の次、去る僧曰く、某卵塔塲怖しき故に、機を張り立て、行き習ひ行き習ひして、機の張合の位を仕習ふ也。先つ始めは亡者をおつひしいて行き習ふ。後にも大入道を造立て、かまわず行き廻り行き廻りするに、機をきつと張懸て行けは、是れも自由に行かると云ふ。師聞て曰くおつひしいて行くは慈悲なし。夫れは悪い筋也。なぜ亡者の苦に代り、南無三曼多没駄南梵□□と助けて行き習はんずと也。僧曰く、强い機を受けは、亡者苦を免るべし。師曰く、强い機にても、我弔ひは別也。僧便ちその意を問ふ。師曰くうそうそと弔ふべし。なに音せんずとも、なにこと有らんずともうそうそ也。纔かも念を生して行かば、早や体を造ると也。
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『驢鞍橋』卷上夜話の次て、去る者我元より死をなにとも思はぬと云ふ。師聞て曰く、其はよき事にこそあらんずが、修行は上がるべからす。我は死ぬかいやなに因つて、生き通しにして死なぬ身と成りたさに修行はする也。死なぬ身とならぬ中は、世々生々をかけて修せんと思ふ機慥に持つ也。亦其方死をなにとも思はぬと云ふても、道人には非す、さありとも自己の主人六根自由する物を知るへからすと也。
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『驢鞍橋』卷上一日僧問ふて曰く、一つ凡夫にして悲みて死すると、亦何とも思はす死するとは、何れが是ならんや。師答て曰、一様には云れす、乍去大すうを云はゝ、やれ死するか悲しやと云ひて死する者は、□亦死を何共思はぬは、まだ業の甚だしき者と思はるる也。其故は□をも、成敗に逢へども何とも思はざる物也。
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『驢鞍橋』卷下一日、去る人来て曰く、某道を行くに、向ふより人来るを見るごとに、彼が切らば、兎為角為と思ふと云ふ。師聞て曰く、扨て扨てでかい敵を持ちたる人哉。我は作したる怨なれば、その隙計りは、づんとあきて心安しと也。