驢鞍橋 / 卷下
又先年、三州新城にて、去る者の塜大に燒ることあり、近里の諸宗吊へとも消えず。師江戶に下り給ふ時、徃懸り吊て消し給ふ也。その土を方々に遣し給ふ。我等所にも來るか、いかにもまつかに燒けたる土にてありし也。その外廣□の道滿等の大靈を吊て治め給ふこと多し、其時も我衆に居たりと也。
新字:又先年、三州新城にて、去る者の塜大に焼ることあり、近里の諸宗吊へとも消えず。師江戸に下り給ふ時、往懸り吊て消し給ふ也。その土を方々に遣し給ふ。我等所にも来るか、いかにもまつかに焼けたる土にてありし也。その外広□の道満等の大霊を吊て治め給ふこと多し、其時も我衆に居たりと也。
書き下し
又先年、三州新城にて、去る者の塜大に焼ることあり、近里の諸宗吊へとも消えず。師江戸に下り給ふ時、往懸り吊て消し給ふ也。その土を方々に遣し給ふ。我等所にも来るか、いかにもまつかに焼けたる土にてありし也。その外広□の道満等の大霊を吊て治め給ふこと多し、其時も我衆に居たりと也。
現代語訳
また先年、三河の新城で、ある者の塚がひどく焼けることがあった。近在の諸宗が弔ったが消えなかった。師が江戸に下られるとき、行きがけに弔って消された。その土を方々に配られた。私どものところにも来たが、いかにも真っ赤に焼けた土であった。そのほか、広□の道満などの大霊を弔って治められたことも多い。そのときも私はその衆の中にいた、という。
解説
三河の新城で塚が燃え続け、諸宗の僧が弔っても消えなかったのを、正三は江戸へ向かう途中に弔って消した、と本秀和尚が語る。その焼けた土が方々に配られ、自分のところにも真っ赤に焼けた土が届いた、と。ほかにも強い霊を鎮めたことが多く、自分もその場にいた、と証言する。霊験譚として語られているが、人々が困り果てた問題に、宗派を問わず頼られ、応えていた正三の姿を伝えている。
この章句が説くこと
霊験塚新城弔い証言頼られる
関連する章句
-
『驢鞍橋』卷下一日、霊気吊の次、語て曰く、此の前、去る和尚の処に至りければ、彼の和尚の曰く、当所にて去る者の家より火飛出て、三昧に行て塚もゆること有り、塚は前の女房の塚也その男中々迷惑し、私に頼むに仍て、随分吊へとも火消えすと語り給ふ。我聞くと早く手もなく消えたりと云ふ。和尚故を尋ね給ふ。我云ふは、先つ向ふの亡者を吊では消ゆべからす。前の女房の火に非す、後の連相の火也。その子細は、亭主今ずひと間おもはしからさるに仍て、只もの元の女のことを云はんす、爰に於て、今の女の胸もゆる也。大略此の位なるべし。然る間、此の男に道理を云ひ聞かせ、比興者執著の深き奴哉と、ぐつと耻かしめ、扨て今の女房に中々其方か道理じやと、これに足をさせ、男か心を翻し、和睦させば、忽ち火消えんと云へは、和尚大に悅び、頓て如是覚ありしかば、其の儘火消えたり。加様のことも、医者の脉を好く見て薬を与るか如し。めたと吊ふては、功徳有るべからすと也。
-
『驢鞍橋』卷下一老兄、予に語て曰く、師この前、三州にて一大事に責められ、黄なるたんを吐き、近処の者驚くほどのといきをつき給ふ。傍よりは直に胸中燃え給ふかと思はれたり。その時分は暁方一睡外眠り給はす、我らに向て、扨ても心安く眠ると哉と、夜毎に仰せ有りしと也。
-
『驢鞍橋』卷上去る処の病者霊気有りとて、弔を頼み来る。師便ち病者の位牌を書き、長水長老□に大衆に命して、下火念誦にて葬例の儀式を作す。其後師の焼香にて一時千巻の心経有り、誦し了るとわつと云つて位牌をつゝ倒し給ふ也。晩に至りて謂衆曰、逆修をも死人になして弔ひたるか能き也。死人に往いて霊気著くべからすと也。
-
『驢鞍橋』卷下師聞て曰く、その和尚は我も近付なるか、左様の処の悪い人也。夫れは和尚の弔ひめされで叶はぬ処也。因に衆に向て御坊主達、何と弔ひめされんずか。さあ弔ひめされんよと責め給ふ。衆擬議す。師早や成らぬずと云ふて、自らのびあがり、大手を開けつゝ倒す□勢を作して曰く、莫妄想となぜつゝ倒すまいことはと也。時に一老宿有り曰く、扨ても有難き御弔ひ哉、忽ち消え申したり。誠に彼の和尚は、何をかと早や実を授けられたりと也。師又曰く、近代の長老達、心法の心得悪き故に、幽霊を見たる抔と云ふ人多し。笑止なること也。
-
『驢鞍橋』卷下又語て曰く、去る処にて、或る人生霊に付れ病ふを、我に吊を頼み来る、我その様子を問へば、使の者云ふは、此の人目懸を情なく逐出して又女房を持ちければ、その目懸恨深く憤强くして、其影亭主の目に見えて大に病ふと云ふ。是れも聞くと、頓而心得たり、中々吊ふべし、乍去その女人の朝夕秘蔵する道具一つ盗てたべと云て、秘蔵の櫛を偷みよせ、此の櫛を卓の上に置き、明朝こそ是を尋ねんと思ふ時分、責め付け責め付け経咒を以て心の及ふほど吊ふ。又病者の位牌をも傍に立置き、施餓鬼を誦む。如是二朝三朝吊ひければ、病すきと本復す。総而機転なくしては吊抔成るべからす。我万事は無調法なるか、加様の処になりでは、好く若き時より機転好かりしと也。
-
『驢鞍橋』卷下同しく秀和尚語て曰く此前、山中にて瘡はやることあり。時に代官吉左衛門、台岩和尚に語りければ、台岩和尚塔を立て、二季の彼岸に団子を備へよと云ひ給ふ。吉左衛門その如くしければ、病留る也。後に団子を備へされば、その塔より光物飛ひ、村中の者に崇る也。吉左衛門この様子を師に語る。師聞て曰く、扨ても台岩はそでもないことめされたり。早や体かでき、霊できて人に崇る也。是れは台岩のめされたる間、此人を喚はて叶はすと云つて、台岩と我を喚ひ給ふ。至りければ、師彼に同道ありて、一日施餓鬼、金剛経を誦み吊ひ、塔を打崩し、木ともを切払ひ、本の野原は作して皈り給へば、忽ち治りたる也。