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驢鞍橋 / 卷上

一日示して曰く、平生禪定にて居るほど、坐禪を仕習ふへし。淨土宗には念佛を以て信心を申し起し、禪宗には坐禪を以て無相無念の本心を修し出だす也。然る間强く眼をつけて、自ら勇猛精進の心湧出づるほど修すべし。左無くんば彼煩惱に負けて、坐禪常住なるへからずと也。

新字:一日示して曰く、平生禅定にて居るほど、坐禅を仕習ふへし。浄土宗には念仏を以て信心を申し起し、禅宗には坐禅を以て無相無念の本心を修し出だす也。然る間强く眼をつけて、自ら勇猛精進の心湧出づるほど修すべし。左無くんば彼煩悩に負けて、坐禅常住なるへからずと也。

書き下し

一日示して曰く、平生禅定にて居るほど、坐禅を仕習ふへし。浄土宗には念仏を以て信心を申し起し、禅宗には坐禅を以て無相無念の本心を修し出だす也。然る間强く眼をつけて、自ら勇猛精進の心湧出づるほど修すべし。左無くんば彼煩悩に負けて、坐禅常住なるへからずと也。

現代語訳

ある日示して言われた。日頃から禅定のままでいられるほど、坐禅を習いなさい。浄土宗では念仏によって信心を申し起こし、禅宗では坐禅によって無相無念の本心を修め出す。だから強く目をつけて、おのずから勇猛精進の心が湧き出るほど修めなさい。そうでなければ、あの煩悩に負けて、坐禅が常のものにはならないだろう、と。

解説

坐禅は坐っている時間だけのものではなく、日頃から禅定の状態でいられるほど習い込め、と正三は説く。浄土宗が念仏で信心を起こすように、禅宗は坐禅で本心を修め出す、と宗派の違いを役割の違いとして整理しているのも正三らしい。勇猛精進の心が自然と湧き出るほど修めなければ、煩悩に負けて続かない。特別な時間の集中を、日常の在り方にまで浸透させることが、修練の目標だと示している。

この章句が説くこと

坐禅禅定日常勇猛精進念仏継続

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