驢鞍橋 / 卷下
一日、亡者吊の次、示して曰く、去る物語に草かり童、鍛冶に小刀を一本誂へ、山より、童秘藏して腰を離さず。一日、山より歸るに、大木の下に休み寢りける、その木の上にうわばみあり、これを呑まんとす、時に腰より小刀拔出て蛇の頸に立つ、蛇驚き逃く、小刀また鞘にかゝる。道通り之を見、童の目覺るを待ち、所望して我大小に代へたると也。誠にかくあるべきこと也。いやしき小刀なれとも、三年の功に仍て名劔と成る。何事も功を盡くさば、必ず德備はるべし。殊に修行抔功を盡くさで叶はず。爰を以て思ふに、祈禱の樣なことも、又吊ひの樣なことも功を積まずんば、功德と成るへからずと也。
新字:一日、亡者吊の次、示して曰く、去る物語に草かり童、鍛冶に小刀を一本誂へ、山より、童秘蔵して腰を離さず。一日、山より帰るに、大木の下に休み寝りける、その木の上にうわばみあり、これを呑まんとす、時に腰より小刀抜出て蛇の頸に立つ、蛇驚き逃く、小刀また鞘にかゝる。道通り之を見、童の目覚るを待ち、所望して我大小に代へたると也。誠にかくあるべきこと也。いやしき小刀なれとも、三年の功に仍て名剣と成る。何事も功を尽くさば、必ず徳備はるべし。殊に修行抔功を尽くさで叶はず。爰を以て思ふに、祈禱の様なことも、又吊ひの様なことも功を積まずんば、功徳と成るへからずと也。
書き下し
一日、亡者吊の次、示して曰く、去る物語に草かり童、鍛冶に小刀を一本誂へ、山より、童秘蔵して腰を離さず。一日、山より帰るに、大木の下に休み寝りける、その木の上にうわばみあり、これを呑まんとす、時に腰より小刀抜出て蛇の頸に立つ、蛇驚き逃く、小刀また鞘にかゝる。道通り之を見、童の目覚るを待ち、所望して我大小に代へたると也。誠にかくあるべきこと也。いやしき小刀なれとも、三年の功に仍て名剣と成る。何事も功を尽くさば、必ず徳備はるべし。殊に修行抔功を尽くさで叶はず。爰を以て思ふに、祈禱の様なことも、又吊ひの様なことも功を積まずんば、功徳と成るへからずと也。
現代語訳
ある日、亡者の弔いのついでに示して言われた。昔の物語に、草刈りの童が鍛冶に小刀を一本誂えて、山へ持って行き、童は大切にして腰から離さなかった。ある日、山から帰る途中、大木の下で休んで眠っていると、その木の上に大蛇がいて、童を呑もうとした。そのとき腰から小刀が抜け出て、蛇の首に突き立った。蛇は驚いて逃げ、小刀はまた鞘に収まった。通りがかりの人がこれを見て、童が目覚めるのを待ち、所望して自分の大小の刀と取り替えた、という。まことにそうあるべきことである。卑しい小刀であっても、三年の功によって名剣となる。何事も功を尽くせば、必ず徳が備わるはずである。とりわけ修行などは、功を尽くさなければかなわない。ここから思うに、祈祷のようなことも、弔いのようなことも、功を積まなければ功徳とはならないのである、と。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『驢鞍橋』卷下一日、世の望深き侍来るに語て曰く、强く修し行する人は無きが、我物語を聞く人は、頓て大名には成る也。爰にある若き人、親類衆に引れて、ふせうふせうそうに坐に連り、我物語を聞かる、何の変も無さそうに思ひけるに、此の頃、その親類衆、彼の人に向て、仏道を用て自由を得んか、又十万石の主と成らんと問ひれければ、彼の人聞て、夫れほと盲味の者に思召すか、仏道を少しも得ば、夫れは何か十万や二十万に代ゆると申すことあらんやと、誓文を以て云ひたると也。等閑に聞く人も、是れほどの徳は取る也。況や志有て聞かは、大に徳に至ること也。其方抔も、少し志付きたらば、其儘大名に成り、娑婆の責を免れめされんすと也。
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『驢鞍橋』卷上夜話に曰く、修行上らさる物也。四十年以前、我相州関本最乗寺に在りし時、小田原の沖に大蛇出づと云ふ沙汰有り、我聞きて小舟に乗り行いて、造作無く角をひんもがんずと思ひし也。亦富士の人穴抔も、手もなく通らんずと思ひたる也。若き時より如是强く用ゐ来れども、何の用にも不立、今思ふに皆是れ実を以てなす処也。今はいや也。只憂ふて大事也。又曰く、よう若い時から化者幽霊抔は物にはせなんだと也。
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『驢鞍橋』卷上一日若き侍衆に示して曰く、若い衆血気を頼にして、修せずともと思ふ事莫かれ。修して損はをり無いぞ、强いは强いほと强う成り、弱いは次第に强うなる也。亦曰、强い心を以て作す時は、何をなしても天然と能き物也。然れども、分別にてせねばと云ふ機捨てえぬ物也。
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『驢鞍橋』卷上師聞て曰く、扨も能き方便の仕やう哉。是れ貴き人也。亦如是業人菩提心発る事、念仏の功徳有難き事也。便ち衆中に向つて曰く、各々も二三年勤めたる処を、千両にも万両にも買はんと云ふ者有りとも、売らんと云ふ機は有るへからず。然れば亦大なる功徳備はる物に非すやと也。
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『驢鞍橋』卷下一日曰く、我今度娑婆に出て、何の詮も無く死する也。乍去今度の功徳には、仏像を一つ見出したる計也。是れは定めて仏経に有るべし、後来尋ね見るべし。縦ひ無くとも如是勤めば錯なるべからすと也。
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『驢鞍橋』卷上一日武士来て法要を問ふ。師示して曰く、後世を願ふと云ふは、此糞袋を何とも思はず打捨つる事也。是れを仕習ふより別の仏法を知らす、我は若き時より是れ計りを仕習ひし也。先づ千騎万騎抜きそろへたる備の中に超入り、胴腹を撞きぬかれて、死に死にして死習ひしに、是れは頓て仕習ひて超入られたり。亦谷底に大蛇口を張り居るに飛込み、角に取着き居習ふに、是れも頓て仕習ひて角に取着き居られたり。爰になにもなき坿の下ヘ、只落ちて死んで見るに、中中張合無くして飛ばれさる也。然れとも此比になつて少し飛ばるゝかと思ふ也。各々もなにとも思はず、自由に捨らるゝ程さまざま工みて、此身を捨習はるべし。なる程强き心を用ゐすして叶ふべからずと也。