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驢鞍橋 / 卷上

夜話に曰く、大惠禪師は生死の二字を鼻尖上に付けて、忘了する事莫かれと示し、博山禪師は死の一字を額頭上に、貼在せよと示されたり。どれも强き敎に非す、鼻の先に付けよ、額に付けよ抔と云ふは預り物也。此大惠博山抔も、生死の大事を强く胸に引受けて修したる人に非すと見えたり。云ひめされたる事ども弱し。我言へば死の一字を胸の中の主となして、萬事を抛つて守るべしと敎ゆべき也。良有りて曰く、夫れでもまだ當意に使はれず、足の下にきつと蹈付けて守れば使はるゝ物也。毘沙門、あまのじやくをぐつと蹈詰めて居給ふ處の像此證據也。

新字:夜話に曰く、大恵禅師は生死の二字を鼻尖上に付けて、忘了する事莫かれと示し、博山禅師は死の一字を額頭上に、貼在せよと示されたり。どれも强き教に非す、鼻の先に付けよ、額に付けよ抔と云ふは預り物也。此大恵博山抔も、生死の大事を强く胸に引受けて修したる人に非すと見えたり。云ひめされたる事ども弱し。我言へば死の一字を胸の中の主となして、万事を抛つて守るべしと教ゆべき也。良有りて曰く、夫れでもまだ当意に使はれず、足の下にきつと蹈付けて守れば使はるゝ物也。毘沙門、あまのじやくをぐつと蹈詰めて居給ふ処の像此証拠也。

書き下し

夜話に曰く、大恵禅師は生死の二字を鼻尖上に付けて、忘了する事莫かれと示し、博山禅師は死の一字を額頭上に、貼在せよと示されたり。どれも强き教に非す、鼻の先に付けよ、額に付けよ抔と云ふは預り物也。此大恵博山抔も、生死の大事を强く胸に引受けて修したる人に非すと見えたり。云ひめされたる事ども弱し。我言へば死の一字を胸の中の主となして、万事を抛つて守るべしと教ゆべき也。良有りて曰く、夫れでもまだ当意に使はれず、足の下にきつと蹈付けて守れば使はるゝ物也。毘沙門、あまのじやくをぐつと蹈詰めて居給ふ処の像此証拠也。

現代語訳

夜話で言われた。大慧禅師は、生死の二字を鼻先に付けて忘れてはならない、と示され、博山禅師は、死の一字を額に貼っておけ、と示された。どちらも強い教えではない。鼻の先に付けよ、額に付けよなどと言うのは、預かり物である。この大慧や博山なども、生死の大事を強く胸に引き受けて修めた人ではないと見える。言われたことが弱い。私が言うなら、死の一字を胸の中の主として、万事を投げ打って守れ、と教えるだろう。しばらくして言われた。それでもまだ、その場で使えない。足の下にきっと踏みつけて守れば使えるものだ。毘沙門天が天邪鬼をぐっと踏みつけておられる像が、その証拠である、と。

解説

中国の名僧、大慧宗杲は生死の二字を鼻の先に付けよ、博山元来は死の一字を額に貼れと説いた。正三はこれを、鼻や額に付けるのは預かり物で弱い、と批判し、死の一字を胸の主にせよと言う。さらに、それでもまだ足りない、足の下に踏みつけて守れ、と言い直す。毘沙門天が天邪鬼を踏みつける像を証拠とする。大切な覚悟を、外に掲げるのではなく、自分の土台にまで落とし込めという教えである。

この章句が説くこと

死の一字大慧宗杲博山覚悟毘沙門天土台

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