驢鞍橋 / 卷上
一日去る人佛法病有る人を伴ひ來て曰く、是人殊の外眞實人也、敎化あるべし。師見て曰く、あらいやの眞實や。我處のをつきり共の眞實にさへ飽果たり。牛馬の頸をも切るやうならつは者ならば、何とぞあひしらつて見んと也。
新字:一日去る人仏法病有る人を伴ひ来て曰く、是人殊の外真実人也、教化あるべし。師見て曰く、あらいやの真実や。我処のをつきり共の真実にさへ飽果たり。牛馬の頸をも切るやうならつは者ならば、何とぞあひしらつて見んと也。
書き下し
一日去る人仏法病有る人を伴ひ来て曰く、是人殊の外真実人也、教化あるべし。師見て曰く、あらいやの真実や。我処のをつきり共の真実にさへ飽果たり。牛馬の頸をも切るやうならつは者ならば、何とぞあひしらつて見んと也。
現代語訳
ある日、ある人が仏法の病のある人を連れて来て言った。この人はことのほか真実の人です。教化なさってください。師は見て言われた。ああ、嫌な真実だな。私のところの弟子どもの真実にさえ飽き果てている。牛馬の首でも切るような荒くれ者なら、なんとか相手をしてみよう、と。
解説
仏法に凝り固まった真面目な人を紹介され、正三は、嫌な真実だ、と一蹴する。殊勝ぶった真面目さには、弟子たちの分だけでもう飽き飽きしている、いっそ牛馬の首を切るような荒くれ者のほうが導きがいがある、と。形だけの真面目さや、宗教的な熱心さに酔った態度を、正三は最も嫌った。素直で荒削りな人のほうが、固まった真面目な人より伸びることがある、という人材観として読むこともできる。
この章句が説くこと
真面目形骸化荒削り人材観仏法病教化
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