驢鞍橋 / 卷下
夜話の次曰く、御公儀より諸宗を集め、問答決釋して正理を立つべしと有らば、出て自由に云ふ人も有らんや。一僧曰く、中々口にて云ふことは上手多かるべし。喩へば我悟りたり抔と云て活達を働かば、法の諸訛分ち難かるべし。師曰く、出て云ふ人も有らば、其方の言分書付て判をして出しめされよと、名判させ取るべし。我も書付名判して互に末世に殘し、今ころ明眼の人なく、是非のつけてなくとも、後來眼有る人の批判にせよと云つて如是す、是一つ。又三世の諸佛大小の神祇を申し下し、證據人にして、互に血判して境界の長を懺悔する、是れ一つ。又互に語を出しめさる、是れ一つ也。なにと御坊主達、心得めされたるか、笑止なることは、只くどついて居らるゝ間、人に敎ゆることもなるまじきかと思ふ也。扨て扨て無き物哉。吾か樣な田夫野人が如是云ふこと、事の欠けたること也。
新字:夜話の次曰く、御公儀より諸宗を集め、問答決釈して正理を立つべしと有らば、出て自由に云ふ人も有らんや。一僧曰く、中々口にて云ふことは上手多かるべし。喩へば我悟りたり抔と云て活達を働かば、法の諸訛分ち難かるべし。師曰く、出て云ふ人も有らば、其方の言分書付て判をして出しめされよと、名判させ取るべし。我も書付名判して互に末世に残し、今ころ明眼の人なく、是非のつけてなくとも、後来眼有る人の批判にせよと云つて如是す、是一つ。又三世の諸仏大小の神祇を申し下し、証拠人にして、互に血判して境界の長を懺悔する、是れ一つ。又互に語を出しめさる、是れ一つ也。なにと御坊主達、心得めされたるか、笑止なることは、只くどついて居らるゝ間、人に教ゆることもなるまじきかと思ふ也。扨て扨て無き物哉。吾か様な田夫野人が如是云ふこと、事の欠けたること也。
書き下し
夜話の次曰く、御公儀より諸宗を集め、問答決釈して正理を立つべしと有らば、出て自由に云ふ人も有らんや。一僧曰く、中々口にて云ふことは上手多かるべし。喩へば我悟りたり抔と云て活達を働かば、法の諸訛分ち難かるべし。師曰く、出て云ふ人も有らば、其方の言分書付て判をして出しめされよと、名判させ取るべし。我も書付名判して互に末世に残し、今ころ明眼の人なく、是非のつけてなくとも、後来眼有る人の批判にせよと云つて如是す、是一つ。又三世の諸仏大小の神祇を申し下し、証拠人にして、互に血判して境界の長を懺悔する、是れ一つ。又互に語を出しめさる、是れ一つ也。なにと御坊主達、心得めされたるか、笑止なることは、只くどついて居らるゝ間、人に教ゆることもなるまじきかと思ふ也。扨て扨て無き物哉。吾か様な田夫野人が如是云ふこと、事の欠けたること也。
現代語訳
夜話のついでに言われた。御公儀から諸宗を集め、問答し決着をつけて正しい理を立てよ、とあったら、出て自由に言う人もいるだろうか。一人の僧が言った。口で言うことは上手な者が多いでしょう。たとえば、私は悟った、などと言って闊達に振る舞えば、法の混乱は見分けにくいでしょう。師は言われた。出て言う人がいたら、あなたの言い分を書き付けて判を押して出されよ、と名判をさせて取るがよい。私も書き付けて名判して、互いに末世に残し、今は明眼の人がいなくて是非をつける人がいなくても、後の世の眼のある人の批判にせよ、と言ってこのようにする。これが一つ。また三世の諸仏、大小の神々をお招きして証人とし、互いに血判して境界の程を懺悔する。これが一つ。また互いに言葉を出されよ。これが一つである。なんと御坊主たち、心得られたか。笑止なことは、ただくどくどしておられるので、人に教えることもできまいかと思う。さてさて、いないものだな。私のような田夫野人がこのように言うのは、事の欠けたことである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『墨子』節葬下是の故に子墨子曰く、郷に吾が本と言えらく、意うに亦た其の言をして、其の謀を用いて、厚葬久喪を計るに、誠に以て貧を富まし、寡を衆くし、危を定め、亂を治む可からんか。則ち仁なり、義なり、孝子の事なり。人の為に謀る者は、勸めざる可からざるなり。意うに亦た其の言に法り、其の謀を用いて、人の若きの厚葬久喪、實に以て貧を富まし、寡を衆くし、危を定め、亂を治む可からざらんか。則ち仁に非ざるなり、義に非ざるなり、孝子の事に非ざるなり。人の為に謀る者は、沮まざる可からざるなり。是の故に以て國家を富まさんことを求むるも、甚だ貧を得たり。以て人民を衆くせんと欲するも、甚だ寡を得たり。以て刑政を治めんと欲するも、甚だ亂を得たり。以て大國の小國を攻むるを禁止せんことを求むるも、既已に不可なり。以て上帝鬼神の福を千めんと欲するも、又た禍を得たり。上、之を堯舜禹湯文武の道に稽うるに、政、之に逆らう。下、之を桀紂幽厲の事に稽うるに、猶お節を合わするがごとし。若し此を以て觀れば、則ち厚葬久喪は、其れ聖王の道に非ざるなり。
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論語・陽貨篇子曰く、道に聴きて塗に説くは、徳を之れ棄つるなり。
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論語・衛霊公篇子曰く、吾の人に於けるや、誰をか毀り誰をか誉めん。如し誉むる所有らば、其れ試みる所有らん。斯の民や、三代の直道にして行いし所以なり。
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説苑・君道湯曰く、「薬食は先ず卑に嘗めしめ、然る後に貴に至る。薬言は先ず貴に献じ、然る後に卑に聞こゆ」と。故に薬卑に嘗めしめ、然る後に貴に至るは、教えなり。薬言貴に献じ、然る後に卑に聞こゆるは、道なり。故に人をして食を味わしめて然る後に食する者は、其の味を得ること多し。人をして言を味わしめて然る後に言を聞く者は、其の言を得ること少なし。是を以て明王の言は、必ず自ら他に之を聴かしめ、必ず自ら他に之を聞かしめ、必ず自ら他に之を択ばしめ、必ず自ら他に之を取らしめ、必ず自ら他に之を聚めしめ、必ず自ら他に之を蔵せしめ、必ず自ら他に之を行わしむ。故に道は数ば之を取るを以て明と為し、数ば之を行うを以て章と為し、数ば之を万物に施すを以て蔵と為す。是の故に道を求むる者は目を以てせずして心を以てし、道を取る者は手を以てせずして耳を以てす。
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荀子・大略篇語に曰く、「流丸(りゅうがん)は甌臾(おうゆ)に止まり、流言は知者に止まる」と。此れ家言(かげん)邪説の儒者を悪(にく)む所以(ゆゑん)なり。是非疑はしければ、則ち之を度(はか)るに遠き事を以てし、之を験(ため)すに近き物を以てし、之に参(まじ)ふるに平らかなる心を以てす。流言焉(ここ)に止まり、悪言焉に死す。
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論語・衛霊公篇子曰く、衆之を悪むも、必ず察す。衆之を好むも、必ず察す。