驢鞍橋 / 卷上
一日越前衆來語て曰く、此程國本にて去る家に雷落ち、十二才に成る息女わつと云て母に抱付き、雷ともに抱き留めたる事有りと云ふ。師聞て曰、中々然るへき事也。無心の子に抱かれ、機を奪はれて力を失ふたる物也。無念の力に逢ふて、雷腰をぬかしたる事道理也。何にても無念無心の力に面を合はする物有るべからず。總して化物幽靈の人を喰ひたる事なし、虎狼より一向心安き物也。只人臆病にして我と機を失ふ物也。
新字:一日越前衆来語て曰く、此程国本にて去る家に雷落ち、十二才に成る息女わつと云て母に抱付き、雷ともに抱き留めたる事有りと云ふ。師聞て曰、中々然るへき事也。無心の子に抱かれ、機を奪はれて力を失ふたる物也。無念の力に逢ふて、雷腰をぬかしたる事道理也。何にても無念無心の力に面を合はする物有るべからず。総して化物幽霊の人を喰ひたる事なし、虎狼より一向心安き物也。只人臆病にして我と機を失ふ物也。
書き下し
一日越前衆来語て曰く、此程国本にて去る家に雷落ち、十二才に成る息女わつと云て母に抱付き、雷ともに抱き留めたる事有りと云ふ。師聞て曰、中々然るへき事也。無心の子に抱かれ、機を奪はれて力を失ふたる物也。無念の力に逢ふて、雷腰をぬかしたる事道理也。何にても無念無心の力に面を合はする物有るべからず。総して化物幽霊の人を喰ひたる事なし、虎狼より一向心安き物也。只人臆病にして我と機を失ふ物也。
現代語訳
ある日、越前の人々が来て語った。このほど郷里で、ある家に雷が落ち、十二歳になる娘がわっと言って母に抱きつき、雷ごと抱き留めたことがありました。師は聞いて言われた。なるほど、そうあるべきことである。無心の子に抱かれて、気迫を奪われ、力を失ったのだ。無念の力に出会って、雷が腰を抜かしたのは道理である。何ものであれ、無念無心の力に顔を合わせられるものはない。おおよそ化け物や幽霊が人を食ったためしはない。虎や狼よりずっと安心なものだ。ただ人が臆病で、自分から気迫を失うのである、と。
解説

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『驢鞍橋』卷上夜話の次て、諸人幽霊様々意恨をなしたる物語を数多語る。師聞て曰く、さなくてはさなくては、かほど大事なる事を知らず、皆人毎に死ねばなにも無きやうに思ひ、悪を慎む心もなく、後世を恐るる人も無き間、斯くなくて不叶、扨々笑止千万なる事なり。時に去る人云、某は加様の物語を聞いても恐るゝ心無し。師曰く、夫れは業の深き故なり。彼人亦云、業にも恐るゝ心なし。師曰く、業に恐れさる大業人なり。
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『驢鞍橋』卷下一日、去る人来て曰く、某道を行くに、向ふより人来るを見るごとに、彼が切らば、兎為角為と思ふと云ふ。師聞て曰く、扨て扨てでかい敵を持ちたる人哉。我は作したる怨なれば、その隙計りは、づんとあきて心安しと也。
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『驢鞍橋』卷下夜話に曰く、我始め空々坐禅を能きことに思ふて久く用ゐけるが、一日、無念無心は釈迦仏に勝るはあるべからす。然るに仏さまざま有念を使つて、一代経を説き給ふは是非を分る上にて無念の道理有るべし。あつかぼうせんとしたることにあらじと思ひ替て、果眼に用ゐて、少し元に合ふては、臆病気退く也。各も是非を分ち、万事を作す上に無念にて居る坐禅をし習ふべし。
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『驢鞍橋』卷下夜話の次、去る僧曰く、某卵塔塲怖しき故に、機を張り立て、行き習ひ行き習ひして、機の張合の位を仕習ふ也。先つ始めは亡者をおつひしいて行き習ふ。後にも大入道を造立て、かまわず行き廻り行き廻りするに、機をきつと張懸て行けは、是れも自由に行かると云ふ。師聞て曰くおつひしいて行くは慈悲なし。夫れは悪い筋也。なぜ亡者の苦に代り、南無三曼多没駄南梵□□と助けて行き習はんずと也。僧曰く、强い機を受けは、亡者苦を免るべし。師曰く、强い機にても、我弔ひは別也。僧便ちその意を問ふ。師曰くうそうそと弔ふべし。なに音せんずとも、なにこと有らんずともうそうそ也。纔かも念を生して行かば、早や体を造ると也。
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『驢鞍橋』卷中師語て曰く、洛陽鳥辺野に塜間住の僧あり、一日、旧友の僧来り問ふ、爰に在て怖しき者なしや。住僧答て曰く、「うつ蝉のもぬけのからと身はなりて我有てこそ物をぢはせめ。」僧曰く、そふ云ふは誰ぞ。住僧の曰く、無心の寒松、風来て葉自ら吟ず。是れ関東にて秘参とす。誠にぬけから坊のかじけ仏法と云ふもの也。我ならは、我は是れ三界の大導師、何をか怖れんと云はんずと也。
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『驢鞍橋』卷下一日、僧来て曰く、此の五三日大に死苦迫て切也。何としてか此の苦を払ふべきや。師便ち阿二王のまねをなして曰く、此の機を以て遣るべし。此の外に遣様を知らすと也