驢鞍橋 / 卷下
夜話の次、一僧曰く、諸方より長老、平僧、道心者幾人と云ふこともなく來れども聞屆けず、皆頓て歸るは如何なる義なりや。一僧曰く、我法に合はぬと思ひ、又は一つこと替ることなしと思て歸るなるべし。師聞て曰く、どれも云ふこともなし、皆我立に正三か處に來る也。然れとも正三か處ては、我か立てられぬに仍て皆歸る也。
新字:夜話の次、一僧曰く、諸方より長老、平僧、道心者幾人と云ふこともなく来れども聞届けず、皆頓て帰るは如何なる義なりや。一僧曰く、我法に合はぬと思ひ、又は一つこと替ることなしと思て帰るなるべし。師聞て曰く、どれも云ふこともなし、皆我立に正三か処に来る也。然れとも正三か処ては、我か立てられぬに仍て皆帰る也。
書き下し
夜話の次、一僧曰く、諸方より長老、平僧、道心者幾人と云ふこともなく来れども聞届けず、皆頓て帰るは如何なる義なりや。一僧曰く、我法に合はぬと思ひ、又は一つこと替ることなしと思て帰るなるべし。師聞て曰く、どれも云ふこともなし、皆我立に正三か処に来る也。然れとも正三か処ては、我か立てられぬに仍て皆帰る也。
現代語訳
夜話のついでに、一人の僧が言った。諸方から長老、平僧、道心者が何人ということもなく来ますが、誰も聞き届けず、みなすぐに帰るのは、どういうわけでしょうか。一人の僧が言った。自分の法に合わないと思い、または何も変わったことはないと思って帰るのでしょう。師は聞いて言われた。どれということもない。みな自分を立てるために正三のところに来るのである。けれども、正三のところでは自分が立てられないので、みな帰るのである、と。
解説
多くの僧が訪ねてくるのに、誰も教えを受け止めずに帰っていく理由を、正三は、みな自分を立てるため、自分の見解を認めてもらうために来るからだ、と見抜く。自分のもとでは我を立てることができないので、居心地が悪くて帰るのだ、と。学びに来たつもりでも、実は自分の考えを確認し、認めてもらいたいだけということは多い。本当に学ぶには、自分を立てることを手放す覚悟が要る、と教える条である。
この章句が説くこと
我を立てる学ぶ姿勢承認欲求謙虚居心地訪問者
関連する章句
-
史記 老子韓非列伝老子は、楚の苦県厲郷曲仁里の人なり。姓は李氏、名は耳、字は耼、周の守藏室の史なり。孔子、周に適き、将に礼を老子に問はんとす。老子曰く、「子の言ふ所の者は、其の人と骨と皆已に朽つ。独り其の言在るのみ。且つ君子は其の時を得ば則ち駕し、其の時を得ざれば則ち蓬累して行く。吾之を聞く、良賈は深く藏して虚しきが若く、君子は盛徳あるも容貌は愚なるが若し、と。子の驕気と多欲、態色と淫志を去れ。是れ皆子の身に益無し。吾が以て子に告ぐる所は、是くの若きのみ」と。孔子去り、弟子に謂ひて曰く、「鳥は、吾其の能く飛ぶを知る。魚は、吾其の能く游ぐを知る。獣は、吾其の能く走るを知る。走る者には以て罔を為す可く、游ぐ者には以て綸を為す可く、飛ぶ者には以て矰を為す可し。龍に至りては、吾其の風雲に乗りて天に上るを知る能はず。吾今日老子を見るに、其れ猶ほ龍のごときか」と。
-
論語・八佾篇子、太廟に入り、事毎に問う。或曰く、『誰か鄒人の子を礼を知ると謂うや、太廟に入りて事毎に問う。』子これを聞きて曰く、『是れ礼なり。』
-
葉隠・聞書第一何某(なにがし)は気性者(きしょうもの)なり、何某の前にてかような儀を申し候(そうろう)」と話す人あり。それが面(つら)に似合わぬ言い分なり。曲者(くせもの)と言われたきまでなり。卑(いや)しき位なり。青き所がある人と見えたり。そのように、人の前にて物を言うは槍持(やりもち)中間(ちゅうげん)の出会い同然にて賤(いや)しき事なり。「侍たる者は、まず礼儀正しきとこそ美しけれ」と。扇・鼻紙・料紙・臥具(がぐ)などは、少しよき物にても苦しからざるなり。居宅・衣裳・諸道具など面(つら)に似合わぬ事する人多し。
-
老子・第8章上善は水の若し。水は善く万物を利して争わず、衆人の悪む所に処る。故に道に幾し。居は地を善しとし、心は淵を善しとし、与は仁を善しとし、言は信を善しとし、正は治を善しとし、事は能を善しとし、動は時を善しとす。夫れ唯だ争わず、故に尤め無し。
-
史記 管晏列伝晏子斉の相たり。出づ。其の御の妻、門間よりして其の夫を闚ふ。其の夫、相の御を為して、大蓋を擁し、駟馬に策ち、意気揚揚として甚だ自ら得たるなり。既にして帰る。其の妻去らんことを請ふ。夫其の故を問ふ。妻曰く、「晏子の長けは六尺に満たずして、身は斉国に相たり、名は諸侯に顕はる。今妾其の出づるを覩るに、志念深く、常に自ら下る有る者なり。今子は長け八尺、乃ち人の僕御為り、然るに子の意は自ら以て足れりと為す。妾是の以に去らんことを求むるなり」と。其の後夫自ら抑損す。晏子怪しみて之を問ふ。御実を以て対ふ。晏子薦めて大夫と為す。
-
葉隠・聞書第一少し理窟(りくつ)などを合点(がてん)したる時は、頓(やが)て高慢(こうまん)して、我今の世間に合はぬ生附(うまれつき)などと云ひて、我が上(うえ)あらじと思ふは、天罰あるべきなり。何様(いかよう)の能事(のうじ)持ちたりとも、人の好かぬ者は役に立たず。御用に立つ事、奉公する事には好きて、随分(ずいぶん)へりくだり、朋輩(ほうばい)の下に居るを悦ぶ心入(こころいれ)の者は、諸人(しょにん)嫌はぬものなり。「さてさて振(ふ)りある秘蔵(ひぞう)の者共(ものども)。」