驢鞍橋 / 卷上
一日曰く、我六十余に成りてより、心相の一つ替はる事有り、亡者を吊ふにひしと心に請取り、身に引懸けて弔ふ位有り、或は火中に飛込んで苦に代る心に成り、或は翅籠有るをつゝと出て助けんと思ふ機の位に成り、或は子供堀堆に落つるを飛込んで取つて指上げる心相に成り、中々强う請取る也。總して亡者弔ひに出づると早や機自ら果し眼に成る也。
新字:一日曰く、我六十余に成りてより、心相の一つ替はる事有り、亡者を吊ふにひしと心に請取り、身に引懸けて弔ふ位有り、或は火中に飛込んで苦に代る心に成り、或は翅籠有るをつゝと出て助けんと思ふ機の位に成り、或は子供堀堆に落つるを飛込んで取つて指上げる心相に成り、中々强う請取る也。総して亡者弔ひに出づると早や機自ら果し眼に成る也。
書き下し
一日曰く、我六十余に成りてより、心相の一つ替はる事有り、亡者を吊ふにひしと心に請取り、身に引懸けて弔ふ位有り、或は火中に飛込んで苦に代る心に成り、或は翅籠有るをつゝと出て助けんと思ふ機の位に成り、或は子供堀堆に落つるを飛込んで取つて指上げる心相に成り、中々强う請取る也。総して亡者弔ひに出づると早や機自ら果し眼に成る也。
現代語訳
ある日言われた。私は六十歳を過ぎてから、心のありようが一つ変わったことがある。亡者を弔うのに、ひしと心に受け取り、身に引き受けて弔う境地がある。あるいは火の中に飛び込んで苦しみを代わりに受ける心になり、あるいは窮地にある者のところへすっと出て助けようと思う気迫の境地になり、あるいは子どもが堀に落ちたのに飛び込んで拾い上げる心のありようになり、なかなか強く受け取るのである。おおよそ亡者弔いに出ると、たちまち気迫がおのずから果たし眼(決死の目)になるのである、と。
解説
六十歳を過ぎてから、死者を弔うときの心が変わった、と正三は語る。死者の苦しみを自分の身に引き受け、火の中に飛び込む、堀に落ちた子を救い上げるような気持ちで弔うようになった、と。弔いが形式的な儀礼ではなく、全身で相手の苦しみを受け止める行為になっている。果たし眼は、命がけで事に臨む目のことだ。人を悼む、あるいは誰かの苦境に寄り添うとき、どれほど身に引き受けているかを問う条である。
この章句が説くこと
弔い共感果し眼晩年慈悲身に引き受ける
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