驢鞍橋 / 卷下
午の八月下旬萬安和尙遷化の由申し來る師嘆して曰く、扨ても久しき近付を失ひ先立申したり先づ踵を明けめされたるよと也。又向衆曰く、萬安萬安と云ひしが早や沙汰に成りめされたり我も頓て沙汰に成て見せんずと也。
新字:午の八月下旬万安和尚遷化の由申し来る師嘆して曰く、扨ても久しき近付を失ひ先立申したり先づ踵を明けめされたるよと也。又向衆曰く、万安万安と云ひしが早や沙汰に成りめされたり我も頓て沙汰に成て見せんずと也。
書き下し
午の八月下旬万安和尚遷化の由申し来る師嘆して曰く、扨ても久しき近付を失ひ先立申したり先づ踵を明けめされたるよと也。又向衆曰く、万安万安と云ひしが早や沙汰に成りめされたり我も頓て沙汰に成て見せんずと也。
現代語訳
午の年八月下旬、万安和尚が遷化されたとの知らせが来た。師は嘆いて言われた。さても、久しい知り合いを失い、先立たれてしまった。まず先に踵を明けられたのだな、と。また衆に向かって言われた。万安、万安と言っていたが、もう噂の人になってしまわれた。私もやがて噂になって見せよう、と。
解説
長年の友であった万安和尚の死の知らせに、正三は、古い知り合いに先立たれた、先に行ってしまったな、と嘆く。そして、万安、万安と呼んでいた人がもう思い出話の人になった、自分もやがてそうなって見せよう、と言う。親しい人の死を悲しみながら、それを自分の死を見つめる鏡にする。死を恐れず受け入れようとする晩年の正三の、しみじみとした、しかし潔い言葉である。
この章句が説くこと
死別友万安和尚無常晩年受け入れ
関連する章句
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『驢鞍橋』卷上一日去る処へ至り玉ふに、其家の代官知行処へ往くとて、途中にて少し煩ひ死しける由申来る。師聞き愕然として曰く、扨々不便千万の事哉、我をも娑婆をも実に有ると思ひ居て俄に死す。苦み計り難し、嘆痛敷事也。爰を以て思へは少し志有りて、今か今かと片腰懸けたる様にも思ひ居る者は、亦大なる徳也。其日さまざまの事有り、晩に至りて曰く、一日徒に飮食したり、闇魔王に腹を打破られんすよと也。
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『驢鞍橋』卷上一日亡者弔ひの次て、師愕然として曰く、皆人計りを弔ふ弔ふと思つて、我も頓て弔らはるへしと云ふ事を知らず。仮にも思ひよらず、只有りて俄に詰りてぎくついて死す。さても暗き物哉と也。
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『驢鞍橋』卷下師遷化の後、不三老、門人に謂て曰く、此間人病を問へとも、之に取合はず、なにと仏法に替る事なしやなしやと計り尋ね給ふ。誠に遷化の日迄、此事のみ也。一生が間、あれほとも全体仏法を苦にし給ふものか、各志を守て師の念願を虚しう給ふべからすと□□也。
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『驢鞍橋』卷下師始め室を閉つといへとも、末後両三日に至て諸人の見舞を致すことを許し給ふ。時に一僧なほなほ法要を示し給へと云ふ。師はつたと睨んて曰く、何と云ふ□、我三十年云ふことをえうけずして、左様のことを云ふか、正三は死ぬと也。その後法要を問ふ者なし。時に明暦元年乙未六月二十五日申の刻、安然として遷化し給ふ也。
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『驢鞍橋』卷上壬辰八月日、一僧某殿大坂御番に一両日中に上り給ふと云ふ。師聞て曰、当春聞きし時は、まだ間有る様に思はれけるが、いつの間にか月日立ち、程無く二三日に推詰りけるよ。我命も今は有る様に思ふが、俄にこそ詰らんずよと也。
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『驢鞍橋』卷下師神田に至り給ふに及んで、彼の宿所の傍に二間四方の小坐敷あるを見て、好き死所見付けたり、これにて死せんずよと云て彼に入り給ふ。意斎、正智のみ常に左右に侍す。時に一僧、師に啓して曰く、医者衆御脉悪しと申す也、御気色如何候や。師笑て曰く、正三は三十年以前に死して置いたりと也。