驢鞍橋 / 卷上
去る處の病者靈氣有りとて、弔を賴み來る。師便ち病者の位牌を書き、長水長老□に大衆に命して、下火念誦にて葬例の儀式を作す。其後師の燒香にて一時千卷の心經有り、誦し了るとわつと云つて位牌をつゝ倒し給ふ也。晩に至りて謂衆曰、逆修をも死人になして弔ひたるか能き也。死人に徃いて靈氣著くべからすと也。
新字:去る処の病者霊気有りとて、弔を頼み来る。師便ち病者の位牌を書き、長水長老□に大衆に命して、下火念誦にて葬例の儀式を作す。其後師の焼香にて一時千巻の心経有り、誦し了るとわつと云つて位牌をつゝ倒し給ふ也。晩に至りて謂衆曰、逆修をも死人になして弔ひたるか能き也。死人に往いて霊気著くべからすと也。
書き下し
去る処の病者霊気有りとて、弔を頼み来る。師便ち病者の位牌を書き、長水長老□に大衆に命して、下火念誦にて葬例の儀式を作す。其後師の焼香にて一時千巻の心経有り、誦し了るとわつと云つて位牌をつゝ倒し給ふ也。晩に至りて謂衆曰、逆修をも死人になして弔ひたるか能き也。死人に往いて霊気著くべからすと也。
現代語訳
ある所の病人に霊気が憑いているというので、弔いを頼みに来た。師はすぐに病人の位牌を書き、長水長老□に大衆に命じて、下火や念誦など葬礼の儀式を行わせた。その後、師の焼香で一時に千巻の心経を読み、読み終わるとわっと言って位牌を突き倒された。晩になって衆に言われた。生前の供養(逆修)も、死人にして弔うのがよい。死人のところへは霊気は憑くことができない、と。
解説
霊に憑かれたという病人のために、正三は生きている病人の位牌を書き、葬儀の儀式を行って、最後に位牌を突き倒した。病人を一度死者にしてしまえば、霊が憑く相手がいなくなる、という発想である。今の目で見れば民間的な祈祷だが、正三は人の念を奪うことで心の病を治す機転を重んじた。思い込みに囚われた心を、大胆な演出によって断ち切るという方法には、人の心理をよく知る者の知恵がうかがえる。
この章句が説くこと
弔い霊気機転儀式逆修心の病
関連する章句
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『驢鞍橋』卷下又語て曰く、去る処にて、或る人生霊に付れ病ふを、我に吊を頼み来る、我その様子を問へば、使の者云ふは、此の人目懸を情なく逐出して又女房を持ちければ、その目懸恨深く憤强くして、其影亭主の目に見えて大に病ふと云ふ。是れも聞くと、頓而心得たり、中々吊ふべし、乍去その女人の朝夕秘蔵する道具一つ盗てたべと云て、秘蔵の櫛を偷みよせ、此の櫛を卓の上に置き、明朝こそ是を尋ねんと思ふ時分、責め付け責め付け経咒を以て心の及ふほど吊ふ。又病者の位牌をも傍に立置き、施餓鬼を誦む。如是二朝三朝吊ひければ、病すきと本復す。総而機転なくしては吊抔成るべからす。我万事は無調法なるか、加様の処になりでは、好く若き時より機転好かりしと也。
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『驢鞍橋』卷下又云はく、機転なくして方便成り難し。霊気吊抔も機転也。此の前三州にて去る人の小者喉つまり、ぎくりぎくりと云つて煩ひける。我聞くと早く知る、頸くゝり死したるつれの霊気につかれたると。然かも此の病起醒あり、我彼者を喚寄せ、仏前に置き、病起らば告けよと云付置く。後に人来て今起りたりと云ふ。我至りてぼかと腸倒して一喝す。忽ち本復して後迄子細なし。皆是れ念を奪ふ義なり
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『驢鞍橋』卷上良有りて曰、彼様の者を弔ふ事も機転なくして不叶、我は聞くと早弔ひ様出づる也。先づ天徳院へ引導を頼み、死人に成して弔ひ、其後我請取り、身に経文陀羅尼を書き、塔婆と成して弔ふへし。塔婆と成りたらば虫も責むべからす、二七日も三七日も如是して弔ひたらば、必ず治すへき也。弔ひも医者の薬の如し。なま作なればきかぬ也。治せぬ間は、経咒を以て誦み殺す迄も吊ふべし。是れを直さずんは仏法にひけを付ける也。肉身不調の病は薬を以て治す。加様の業に責めらるゝ者は、縦ひ火を吐き角を振り来るとも、手も無く吊ひ直すべしと也。
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『驢鞍橋』卷上後日に医者彼病者を遣はす。師前日の企の如く葬礼の儀式を為し、其晩暮六より四過き迄、衆僧取廻して警策を打ち、経咒を以て責め、病者には礼拝をさせ、吊ひ給へば、病者不図迯げ、門前の家に行倒れて、前後も知らず臥す。師其儘置くへしと云つて、衆を息め給ふ。明朝彼女人起来りて師を礼して曰、虫に責められ昼夜眠らさる事六十日余也。今夜始めて前後を知らず臥す。今朝は夢の覚めたるか如くにして本の人間に罷成り。扨々有難き御慈悲哉。私の所存は最早今生は無き物也、機の違はぬ先に御殺し有りて也とも、御吊ひに預り度存せしに、今生にて再び人間に罷成る事忝き次第也と、感涙を流し礼謝して去る。師晩に曰、始めて聞く時は、人の目に見えて、実に虫ともの責むると云ふに依つて、手も無く吊ひ直すべしと思ふ。後来るを見れば機病也。是れは隙を取らんずと思ひけるが、造作なく直る事不思議也。総して直に責むるは忽ち吊ひにて直るべし。気病はなほり難かるべしと也。
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『驢鞍橋』卷下一日、長水長老云ふ、何某殿子息大病なるに、弔を頼み来る也。如何仕るべきや。師曰く、楞厳咒千坐程誦せば、快く成るべし。総而兵法者抔の弟子に起請を多く書せたる抔は、子孫不吉也。彼れも祖父の代より馬の上手にて、弟子共に起請を多く書せたる末也。その咎と覚えたり。然る間、諸神を請じ下し奉り、報謝に楞厳咒千坐誦せば、大略よかるべしと也。
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『驢鞍橋』卷下夜話の次、去る僧曰く、某卵塔塲怖しき故に、機を張り立て、行き習ひ行き習ひして、機の張合の位を仕習ふ也。先つ始めは亡者をおつひしいて行き習ふ。後にも大入道を造立て、かまわず行き廻り行き廻りするに、機をきつと張懸て行けは、是れも自由に行かると云ふ。師聞て曰くおつひしいて行くは慈悲なし。夫れは悪い筋也。なぜ亡者の苦に代り、南無三曼多没駄南梵□□と助けて行き習はんずと也。僧曰く、强い機を受けは、亡者苦を免るべし。師曰く、强い機にても、我弔ひは別也。僧便ちその意を問ふ。師曰くうそうそと弔ふべし。なに音せんずとも、なにこと有らんずともうそうそ也。纔かも念を生して行かば、早や体を造ると也。