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驢鞍橋 / 卷下

去る曉曰く、扨てもいやな體哉と飽き果て居る也。またも法が何とず起らんずかと思ふてかくしても居ると也。

新字:去る暁曰く、扨てもいやな体哉と飽き果て居る也。またも法が何とず起らんずかと思ふてかくしても居ると也。

書き下し

去る暁曰く、扨てもいやな体哉と飽き果て居る也。またも法が何とず起らんずかと思ふてかくしても居ると也。

現代語訳

ある明け方言われた。さても嫌な体だなと、飽き果てているのである。それでも、法が何とか起こるだろうかと思って、こうしてもいるのだ、と。

解説

晩年の正三は、この身体にはもう飽き果てた、と明け方に漏らす。それでも、仏法が何とか興るかもしれないと思って、こうして生きているのだ、と。老いと病に疲れた身体への嫌悪と、なお捨てきれない願いとが、短い言葉の中に同居している。生きる意味を、自分のためではなく、法を興すという願いに置いている。疲れ果ててなお、願いのために生きる人の、率直で胸を打つ独白である。

この章句が説くこと

晩年老い願い生きる意味独白仏法興隆

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