驢鞍橋 / 卷下
去る曉曰く、扨てもいやな體哉と飽き果て居る也。またも法が何とず起らんずかと思ふてかくしても居ると也。
新字:去る暁曰く、扨てもいやな体哉と飽き果て居る也。またも法が何とず起らんずかと思ふてかくしても居ると也。
書き下し
去る暁曰く、扨てもいやな体哉と飽き果て居る也。またも法が何とず起らんずかと思ふてかくしても居ると也。
現代語訳
ある明け方言われた。さても嫌な体だなと、飽き果てているのである。それでも、法が何とか起こるだろうかと思って、こうしてもいるのだ、と。
解説
晩年の正三は、この身体にはもう飽き果てた、と明け方に漏らす。それでも、仏法が何とか興るかもしれないと思って、こうして生きているのだ、と。老いと病に疲れた身体への嫌悪と、なお捨てきれない願いとが、短い言葉の中に同居している。生きる意味を、自分のためではなく、法を興すという願いに置いている。疲れ果ててなお、願いのために生きる人の、率直で胸を打つ独白である。
この章句が説くこと
晩年老い願い生きる意味独白仏法興隆
関連する章句
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『驢鞍橋』卷下去る暁ふと曰く、われ只今しぬと云ふきに成り、ひして迫て居る也。久しく如是有る間、最はやひまあかんずことじやが、扨て扨てかたき物哉と也。
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『驢鞍橋』卷下去る暁云ふ、総身に入渡つて大事に成て居るが、まだ隙明かぬ也。扨て扨て古人抔の修しをゝせられたると云ふは、でかう强い修行なるべしと也。
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『驢鞍橋』卷下去る夜、小用に出て給ふ次で、身を扣て曰く、咳、むさい糞袋哉。大小用の時は、一入髄に徹して不浄の体哉と、いやに思はるゝ也。扨て扨て詮も無き物哉と也。常住坐臥に付て、何の詮もなき物哉詮もなき物哉と也。又時々あゝ大義じやよ大義じやよと大息をつき給ひ、睡眠の中にも吐息有りし也。又僧俗、毎夜床を取廻して坐するに、何として何としてと時々警策有りし也。
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『驢鞍橋』卷下己の五月廿八日の暁曰く、御坊主達もきつと弓を張りたるか如く、張合の心出るや、扨て又痛い痒いと、一切に付ていやな体哉と、きつと境界と張合て居る心有るやと也。去る者、何某病気なるが、一定死に窮て居ると語る。師聞て曰く、扨ても强者哉、是れ貴き人也。老病究りても、心しに切れぬ物也。
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『驢鞍橋』卷下去る夜半に曰く、兎角移らぬ物哉。あゝ苦労して何の用にも立たず、頓て打腐りて、只在りて果す迄よと也。
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『驢鞍橋』卷下去る暁、左右に向て曰く、扨て扨て実は强物哉。何れも正三かまだいきて居ると思ひ、世にある物じやと思つて、我病に貪著し、之に機を取られて居るさうなと也。又曰く、死をはつしと守るべし、我常に是れ一つを云ふ也。正三は何年生きても、死より別に云ふことなしと也。