驢鞍橋 / 卷下
一日、俗士來て問ふ、修行者に邪正有りと承る、いか樣なるを正法の修行者と申すや。師答へて曰く、我を盡すを正法とす、智惠者は智惠我を立て、慈悲者は慈悲我を立て、坐禪者は坐禪我を立て、見解者は見解我を立つ、何としても常の人よりは上に成て居るべし。大形我立佛法也。如何なる賤き者なりとも、眞實さへ有れは正三は負る也。
新字:一日、俗士来て問ふ、修行者に邪正有りと承る、いか様なるを正法の修行者と申すや。師答へて曰く、我を尽すを正法とす、智恵者は智恵我を立て、慈悲者は慈悲我を立て、坐禅者は坐禅我を立て、見解者は見解我を立つ、何としても常の人よりは上に成て居るべし。大形我立仏法也。如何なる賤き者なりとも、真実さへ有れは正三は負る也。
書き下し
一日、俗士来て問ふ、修行者に邪正有りと承る、いか様なるを正法の修行者と申すや。師答へて曰く、我を尽すを正法とす、智恵者は智恵我を立て、慈悲者は慈悲我を立て、坐禅者は坐禅我を立て、見解者は見解我を立つ、何としても常の人よりは上に成て居るべし。大形我立仏法也。如何なる賤き者なりとも、真実さへ有れは正三は負る也。
現代語訳
ある日、俗人が来て尋ねた。修行者には邪と正があると承ります。どのような者を正法の修行者と申すのでしょうか。師は答えて言われた。我を尽くすのを正法とする。智慧のある者は智慧の我を立て、慈悲のある者は慈悲の我を立て、坐禅をする者は坐禅の我を立て、見解のある者は見解の我を立てる。どうしても普通の人よりは上になっているのである。たいていは我を立てる仏法である。どんなに卑しい者であっても、真実さえあれば、正三は負けるのである。
解説
正しい修行者とは何か、と問われた正三は、自我を尽くすことだ、と答える。智慧のある人は智慧で、慈悲深い人は慈悲で、坐禅をする人は坐禅で、見識のある人は見識で、自分を人より上に置いてしまう。長所こそが自我の足場になる、という鋭い観察である。そして、どれほど身分の低い人でも、真実の心があれば自分は負ける、と言い切る。能力や徳を誇りにする心を戒め、飾らない本気を最上とする正三の人間観である。
この章句が説くこと
我を立てる正法長所慢心真実謙虚
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