驢鞍橋 / 卷下
或人語て曰く、この前、師、予に示して曰く、人は只かしの木が好いぞよ、藤かづらは用にたゝず。紀州に某と云ふ强者あり、國中に聞えたる人切にて、內の者どもに手も見せす、少しの事も許さす切るなり。此人、一日我所に來り、某はかくれなき人切也。是れ惡業とや成るへきと云ふ。我聞て、中々業となるべからす、定めて其方無理には殺しめされまい。盜するか、慮外するか、兎角咎なくては殺しめされまいと云ひけれは、彼の人中々其通也と云ふ。我良有りて、但し傍輩の中又餘所の者には、其方機に合はぬ慮外者抔なしや。答て曰く、有る也。我それをも殺しめさるゝやと云へは、彼の人然らすと云ふ。その時、我扨て扨て鄙怯千萬なる人哉、人切ならは、なせ夫れをきりめされんず。他人の慮外者はきりえすして、內の者ともの主とて、たつはいしはい廻る者とも、少しのことに切る樣なる鄙怯なることあらんやと、强くはぢしめければ、彼の人ひしとうけ、一腰をぬき金を打て、其後は終に人をきらず。樫の木はをれ端各別也。
新字:或人語て曰く、この前、師、予に示して曰く、人は只かしの木が好いぞよ、藤かづらは用にたゝず。紀州に某と云ふ强者あり、国中に聞えたる人切にて、内の者どもに手も見せす、少しの事も許さす切るなり。此人、一日我所に来り、某はかくれなき人切也。是れ悪業とや成るへきと云ふ。我聞て、中々業となるべからす、定めて其方無理には殺しめされまい。盗するか、慮外するか、兎角咎なくては殺しめされまいと云ひけれは、彼の人中々其通也と云ふ。我良有りて、但し傍輩の中又余所の者には、其方機に合はぬ慮外者抔なしや。答て曰く、有る也。我それをも殺しめさるゝやと云へは、彼の人然らすと云ふ。その時、我扨て扨て鄙怯千万なる人哉、人切ならは、なせ夫れをきりめされんず。他人の慮外者はきりえすして、内の者ともの主とて、たつはいしはい廻る者とも、少しのことに切る様なる鄙怯なることあらんやと、强くはぢしめければ、彼の人ひしとうけ、一腰をぬき金を打て、其後は終に人をきらず。樫の木はをれ端各別也。
書き下し
或人語て曰く、この前、師、予に示して曰く、人は只かしの木が好いぞよ、藤かづらは用にたゝず。紀州に某と云ふ强者あり、国中に聞えたる人切にて、内の者どもに手も見せす、少しの事も許さす切るなり。此人、一日我所に来り、某はかくれなき人切也。是れ悪業とや成るへきと云ふ。我聞て、中々業となるべからす、定めて其方無理には殺しめされまい。盗するか、慮外するか、兎角咎なくては殺しめされまいと云ひけれは、彼の人中々其通也と云ふ。我良有りて、但し傍輩の中又余所の者には、其方機に合はぬ慮外者抔なしや。答て曰く、有る也。我それをも殺しめさるゝやと云へは、彼の人然らすと云ふ。その時、我扨て扨て鄙怯千万なる人哉、人切ならは、なせ夫れをきりめされんず。他人の慮外者はきりえすして、内の者ともの主とて、たつはいしはい廻る者とも、少しのことに切る様なる鄙怯なることあらんやと、强くはぢしめければ、彼の人ひしとうけ、一腰をぬき金を打て、其後は終に人をきらず。樫の木はをれ端各別也。
現代語訳
ある人が語って言った。以前、師が私に示して言われた。人はただ樫の木がよいぞ。藤かずらは役に立たない。紀州に某という強者がいて、国中に聞こえた人斬りで、家の者たちに手も見せず、少しのことも許さずに斬るのである。この人がある日、私のところに来て、私は隠れもない人斬りである。これは悪業となるだろうか、と言う。私は聞いて、なかなか業にはならないだろう。きっとあなたは無理には殺されまい。盗みをするか、無礼をするか、とにかく咎がなくては殺されまい、と言うと、その人は、まさにそのとおりだ、と言う。私はしばらくして、ただし、同僚の中や、よその者には、あなたの気に合わない無礼者などはいないか。答えて言った。いる。私が、それも殺されるのか、と言うと、その人は、そうではない、と言う。そのとき私は、さてさて卑怯千万な人だな。人斬りなら、なぜそれを斬られないのか。他人の無礼者は斬れないで、家の者たちの主だといって、ぺこぺこと這い回る者たちを、少しのことで斬るような卑怯なことがあろうか、と強く恥をかかせると、その人はひしと受け止め、刀を抜いて金打をし、その後はついに人を斬らなかった。樫の木は折れ口が格別である。
解説
この章句が説くこと
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