驢鞍橋 / 卷上
一日衆に語て曰く、此前吉野にて大峰懸出の山伏、大太刀を十文字にはき、金剛杖を撞き、大童に成つて通るを見て、扨も役の行者はでかい修行者で在つたよと、ひしと機に移り、誠に捨身の修行、如是ならではと思付きてより、二王を見出す也。夫れより次第に佛像の位を見出す也。是れも我胸に有る事に、ひしと相應するに依つて見出すなり。性弱くして見ゆべからず、後に去る山伏の法師に聞きければ、山伏の卷物の奧書に、捨身菩提とあり、亦頭巾の裏にも如是書して頂くといへり。誠に形より推顯して修す位也。實に實に捨身修行如是なくては、ふしも形付べからずと也。
新字:一日衆に語て曰く、此前吉野にて大峰懸出の山伏、大太刀を十文字にはき、金剛杖を撞き、大童に成つて通るを見て、扨も役の行者はでかい修行者で在つたよと、ひしと機に移り、誠に捨身の修行、如是ならではと思付きてより、二王を見出す也。夫れより次第に仏像の位を見出す也。是れも我胸に有る事に、ひしと相応するに依つて見出すなり。性弱くして見ゆべからず、後に去る山伏の法師に聞きければ、山伏の巻物の奥書に、捨身菩提とあり、亦頭巾の裏にも如是書して頂くといへり。誠に形より推顕して修す位也。実に実に捨身修行如是なくては、ふしも形付べからずと也。
書き下し
一日衆に語て曰く、此前吉野にて大峰懸出の山伏、大太刀を十文字にはき、金剛杖を撞き、大童に成つて通るを見て、扨も役の行者はでかい修行者で在つたよと、ひしと機に移り、誠に捨身の修行、如是ならではと思付きてより、二王を見出す也。夫れより次第に仏像の位を見出す也。是れも我胸に有る事に、ひしと相応するに依つて見出すなり。性弱くして見ゆべからず、後に去る山伏の法師に聞きければ、山伏の巻物の奥書に、捨身菩提とあり、亦頭巾の裏にも如是書して頂くといへり。誠に形より推顕して修す位也。実に実に捨身修行如是なくては、ふしも形付べからずと也。
現代語訳
ある日、衆に語って言われた。以前、吉野で大峰に入る山伏が、大太刀を十文字に佩き、金剛杖を突き、ざんばら髪になって通るのを見て、なんとも役行者は大した修行者であったのだな、とひしと気迫が移り、本当に捨身の修行は、このようでなくてはと思いついてから、仁王を見出したのである。それから次第に仏像の位を見出した。これも自分の胸にあることに、ひしと相応したから見出したのである。性分が弱くては見えるものではない。後にある山伏の法師に聞いたところ、山伏の巻物の奥書に、捨身菩提とあり、また頭巾の裏にもこのように書いて戴いている、と言った。本当に形から押し顕して修める位である。本当に本当に、捨身の修行はこのようでなくては、節も形もつかないだろう、と。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『驢鞍橋』卷上一日示して曰く、仏道修行と云ふは、二王不動の大堅固の機を受けて修すること、一つ也。此機を以て身心を責滅すより外、別に仏法を知らず。若し我法に入らんと思ふ人は、機をひつ立、眼をすゑ、二王不動悪魔降伏の形像の機を受け、二王心を守て悪業煩悩を滅すべし。古来より此仏像の沙汰したる人聞ねども、如何にしても我胸に相応して用ゐて、万事に自由也。仏は勇猛精進と諸経に多く説き給ふと見えたり。此機を受けずして煩悩に勝つと不可有。第一に仏像の機を受くると云ふことを能く可知。無精にして此機移るべからす、専ら仏像に眼を著けて二六時中金剛心を守るべしと也。
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『驢鞍橋』卷上一日諸人勇猛心をえ受けぬと云ふ時に、師急度吽二王の真似を作して曰く、何と此機移るや、又大手をひろげて口を阿と張り、此機移るや、河州にて如是造りたる阿二王を見る、誰が見ても機の移りさうな二王也。尤も吽もよし其外はどこで見たも大形へご二王計り也。亦自ら模様を作して曰、如是きつとねぢ廻して、じりじりと懸かる処を造りたる仏像、鎌倉覚園寺の十二神の中に有り、中々よき威勢也。我には是れが第一に相応する也。爰を以て果し眼と云ふ事云ひ出して人に授ける也。
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『驢鞍橋』卷下一日曰く、我今度娑婆に出て、何の詮も無く死する也。乍去今度の功徳には、仏像を一つ見出したる計也。是れは定めて仏経に有るべし、後来尋ね見るべし。縦ひ無くとも如是勤めば錯なるべからすと也。
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『驢鞍橋』卷上一日示して曰く、修行と云ふは勇猛の機一つ也。此心無くんば何たる行業も何たる善心も、皆徒事也。如来坐禅と二王坐禅と、あまり隔てあるべからず。面に現はしたると内に用ゐたるの替りなるべし。勇猛の機なくして、なにとして凡夫心にて死する時少しも使はれんや。亦なにを以て一切に勝つへきや。我は此機を頓て修し出したる間、人毎に頓て移らんずと思へとも、一人でも受けたる者なし。然れば是れ迄も修し付け難く、移し難き物と見えたり。時に去る者問、如何様にして此機を修し出すべきや。師示日、眼をすゑて死習ふ外なし。此糞袋をかたきにしてひた責めに責むべし。我が書く処の捨身の位、自己を守るの位をよく見て修せば、必す此機自然に起るへしと也。
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『驢鞍橋』卷上一日僧問ふて云ふ、如何にしてか二王の機を修し出すべきや。師答て曰く、只死ぬ事を仕習ふべき也。我若き時大勢の敵の中へ、翅入り翅入りして死習ひけるが、是れは頓て入られたり。亦爰に二三人鎗を搆へて居る処に懸りて、胴腹を撞抜かれて死んで見るに死なれす、何としても入身に成り、其の頸を取り鎗を切折り抔して負けられず。如是さまざま死にならふとして此機を知る也。
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『驢鞍橋』卷上一日去る処の小姓両人来り法要を問ふ。師示して曰く、修行と云ふは此身に離るゝ事也。先つ若き衆は身を不惜、主君に奉公をなすが能き也。如是浅き処に身を捨習つて功を尽さは、如何様の処にも自由に捨てらるべし。身心にさへ離るれば成仏也。