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驢鞍橋 / 卷下

一日曰く、八幡の御託宣に、たとひ鐵丸を食するとも、寧ろ信心の人の物を受くべからずと有り。然るを今時の僧達、愚に心得て皆居めさるゝ、我は聞くとまづさうじや、何が受けられてこそと乘りたり。此の位を云ひければ、大愚和尙計實にもと肯ひめされたり。餘に誰れでも受けたる人無し。又三輪明神の御詠歌にも、「三の輪は淸く淨かれから衣くると思ふな取ると思はし」ところ有りと也。時に長老あり云ふ、誠に拙僧共も只信施深いと計存じたり。實々大なる實の念哉と也。

新字:一日曰く、八幡の御託宣に、たとひ鉄丸を食するとも、寧ろ信心の人の物を受くべからずと有り。然るを今時の僧達、愚に心得て皆居めさるゝ、我は聞くとまづさうじや、何が受けられてこそと乗りたり。此の位を云ひければ、大愚和尚計実にもと肯ひめされたり。余に誰れでも受けたる人無し。又三輪明神の御詠歌にも、「三の輪は清く浄かれから衣くると思ふな取ると思はし」ところ有りと也。時に長老あり云ふ、誠に拙僧共も只信施深いと計存じたり。実々大なる実の念哉と也。

書き下し

一日曰く、八幡の御託宣に、たとひ鉄丸を食するとも、寧ろ信心の人の物を受くべからずと有り。然るを今時の僧達、愚に心得て皆居めさるゝ、我は聞くとまづさうじや、何が受けられてこそと乗りたり。此の位を云ひければ、大愚和尚計実にもと肯ひめされたり。余に誰れでも受けたる人無し。又三輪明神の御詠歌にも、「三の輪は清く浄かれから衣くると思ふな取ると思はし」ところ有りと也。時に長老あり云ふ、誠に拙僧共も只信施深いと計存じたり。実々大なる実の念哉と也。

現代語訳

ある日言われた。八幡の御託宣に、たとえ鉄の丸を食べても、むしろ信心の人の物を受けてはならない、とある。それなのに、今どきの僧たちは愚かに心得て、みな平気でおられる。私は聞くやいなや、まずそうだ、どうして受けられようか、と心に乗った。この位を言ったところ、大愚和尚だけが、なるほどと肯かれた。ほかに誰も受け止めた人はいない。また三輪明神の御詠歌にも、三の輪は清く浄かれ唐衣くると思ふな取ると思はじ、というところがある、と。そのとき長老がいて言った。まことに私どもも、ただ信施はありがたいとばかり思っておりました。本当に大きな実有の念でございますね、と。

解説

たとえ鉄の玉を食べても信者の施しを受けてはならない、という八幡神の託宣を、正三は深く受け止め、施しを当然のように受ける今の僧を批判する。三輪明神の歌の、与える、受け取るという思いを離れて清らかであれ、という心も引く。長老は、施しをありがたいとばかり思っていたのが、実は執着だった、と気づく。人からの支援や報酬を当然と思わず、受けることの重さを自覚せよ、という戒めである。

この章句が説くこと

信施託宣受ける重さ三輪明神戒め清浄

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