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驢鞍橋 / 卷上

一日人來り語て曰く、此比珍敷事あり、去る町に年六十に餘るまて、無道心にしてどうよくなる者あり、其子是れを嘆き、方便して曰、爰に能き取物あれども如何にしても我隙なし、親人抔の道心も有らば、似合ふたる事なれどもと云ふ。父取物と云ふを聞きて頻に故を問ふ。子曰、三年が間一日に念佛六萬返づゝ申す者有らは、金子十兩にて賴み度と云ふ人有り。父曰、扨々夫れは我に似合ひたる事也、余所に遣るべからず、早く請取るへしと云ふ。子悅び堅く窮めを爲し、金を父に渡す。父請取り朝より晩迄珠數を不放、約束の如く二年ほと念佛しけるが、一日子を喚んで曰、我老て先近し、何も入らぬ身也。何にせんと思つて金子を取りたるか、淺間敷事也。我後世の營みはや運し、是れを忘れ、人の後世を願ひたる事口惜き次第也。去る年よりの御念佛を我菩提の爲めに成したし。我金を加へてなりとも還すべし、何とぞ詫言して此金子を歸してくれよと悔ひ悲む。子されば何と有らんか、先つ歸して見んと云ふて請取る也。父夫れより彌眞實起り、有難き後世願ひに成りぬと語る。

新字:一日人来り語て曰く、此比珍敷事あり、去る町に年六十に余るまて、無道心にしてどうよくなる者あり、其子是れを嘆き、方便して曰、爰に能き取物あれども如何にしても我隙なし、親人抔の道心も有らば、似合ふたる事なれどもと云ふ。父取物と云ふを聞きて頻に故を問ふ。子曰、三年が間一日に念仏六万返づゝ申す者有らは、金子十両にて頼み度と云ふ人有り。父曰、扨々夫れは我に似合ひたる事也、余所に遣るべからず、早く請取るへしと云ふ。子悅び堅く窮めを為し、金を父に渡す。父請取り朝より晩迄珠数を不放、約束の如く二年ほと念仏しけるが、一日子を喚んで曰、我老て先近し、何も入らぬ身也。何にせんと思つて金子を取りたるか、浅間敷事也。我後世の営みはや運し、是れを忘れ、人の後世を願ひたる事口惜き次第也。去る年よりの御念仏を我菩提の為めに成したし。我金を加へてなりとも還すべし、何とぞ詫言して此金子を帰してくれよと悔ひ悲む。子されば何と有らんか、先つ帰して見んと云ふて請取る也。父夫れより弥真実起り、有難き後世願ひに成りぬと語る。

書き下し

一日人来り語て曰く、此比珍敷事あり、去る町に年六十に余るまて、無道心にしてどうよくなる者あり、其子是れを嘆き、方便して曰、爰に能き取物あれども如何にしても我隙なし、親人抔の道心も有らば、似合ふたる事なれどもと云ふ。父取物と云ふを聞きて頻に故を問ふ。子曰、三年が間一日に念仏六万返づゝ申す者有らは、金子十両にて頼み度と云ふ人有り。父曰、扨々夫れは我に似合ひたる事也、余所に遣るべからず、早く請取るへしと云ふ。子悅び堅く窮めを為し、金を父に渡す。父請取り朝より晩迄珠数を不放、約束の如く二年ほと念仏しけるが、一日子を喚んで曰、我老て先近し、何も入らぬ身也。何にせんと思つて金子を取りたるか、浅間敷事也。我後世の営みはや運し、是れを忘れ、人の後世を願ひたる事口惜き次第也。去る年よりの御念仏を我菩提の為めに成したし。我金を加へてなりとも還すべし、何とぞ詫言して此金子を帰してくれよと悔ひ悲む。子されば何と有らんか、先つ帰して見んと云ふて請取る也。父夫れより弥真実起り、有難き後世願ひに成りぬと語る。

現代語訳

ある日、人が来て語った。近ごろ珍しいことがあります。ある町に、六十歳を過ぎるまで道心がなく欲深い者がいて、その子がこれを嘆いて、方便を使って言いました。ここに良い稼ぎ口があるが、どうしても自分は暇がない。親御さんなどに道心があれば、似合ったことなのだが、と。父は稼ぎ口と聞いて、しきりにわけを尋ねました。子は言いました。三年の間、一日に念仏を六万遍ずつ申す者がいれば、金子十両で頼みたいと言う人がいます。父は、それは私にぴったりのことだ、よそへ回してはならない、早く引き受けよ、と言いました。子は喜んで固く約束し、金を父に渡しました。父は受け取り、朝から晩まで数珠を放さず、約束どおり二年ほど念仏していましたが、ある日子を呼んで言いました。私は年老いて先が短い。何も要らない身だ。何にしようと思って金を取ったのか、浅ましいことだ。自分の後世の営みはもう遅く、これを忘れて人の後世を願ったのは口惜しい次第だ。去年からの念仏を、自分の菩提のためにしたい。自分の金を加えてでも返そう。どうか詫びを入れて、この金を返してくれ、と悔い悲しみました。子は、それではどうなるか、まず返してみましょう、と言って受け取りました。父はそれからいよいよ真実の心が起こり、ありがたい後世を願う人になりました、と語った。

解説

欲深い老父に念仏を始めさせるため、息子が念仏を唱えれば十両もらえるという作り話の仕事を持ちかけた、という話である。金目当てで念仏を唱え始めた父は、二年続けるうちに、自分の後世を忘れて金のために唱えてきたことを恥じ、金を返したいと言い出す。動機は不純でも、続けるうちに行いが心を変えていく。息子の巧みな方便と、行為が心を育てるという道理が、ユーモアとともに描かれている。

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