驢鞍橋 / 卷上
一日石平山に引籠む。僧師を辭す。師示して曰く、先つ道中油斷無く心を守り、古塚有らは施餓鬼を誦し弔ふて通るべし、塚に殘る亡魂慥に有る物也。踈に思ふべからず。是れ一つ。亦彼處に至りても何の變も有るべからす、替る事あらんと思ふ事莫かれ。誠に何としてもなんの變も無き物也。是れ一つ。亦今時の出家無信心にして小用の後手を洗はず、經卷を取り佛を禮するつれ也。彼處に至りて左樣の格をなすべからす。如何にも身心淸淨にして禮拜誦經し、佛神三寳に道心を祈り、万靈を弔ひ、自己の功德を勤むべし。善惡ともに本に酬ふの理を能く知るべし。是れ一つ。
新字:一日石平山に引籠む。僧師を辞す。師示して曰く、先つ道中油断無く心を守り、古塚有らは施餓鬼を誦し弔ふて通るべし、塚に残る亡魂慥に有る物也。疎に思ふべからず。是れ一つ。亦彼処に至りても何の変も有るべからす、替る事あらんと思ふ事莫かれ。誠に何としてもなんの変も無き物也。是れ一つ。亦今時の出家無信心にして小用の後手を洗はず、経巻を取り仏を礼するつれ也。彼処に至りて左様の格をなすべからす。如何にも身心清浄にして礼拝誦経し、仏神三宝に道心を祈り、万霊を弔ひ、自己の功徳を勤むべし。善悪ともに本に酬ふの理を能く知るべし。是れ一つ。
書き下し
一日石平山に引籠む。僧師を辞す。師示して曰く、先つ道中油断無く心を守り、古塚有らは施餓鬼を誦し弔ふて通るべし、塚に残る亡魂慥に有る物也。疎に思ふべからず。是れ一つ。亦彼処に至りても何の変も有るべからす、替る事あらんと思ふ事莫かれ。誠に何としてもなんの変も無き物也。是れ一つ。亦今時の出家無信心にして小用の後手を洗はず、経巻を取り仏を礼するつれ也。彼処に至りて左様の格をなすべからす。如何にも身心清浄にして礼拝誦経し、仏神三宝に道心を祈り、万霊を弔ひ、自己の功徳を勤むべし。善悪ともに本に酬ふの理を能く知るべし。是れ一つ。
現代語訳
ある日、石平山に引きこもるという僧が師のもとを辞した。師は示して言われた。まず道中は油断なく心を守り、古い塚があれば施餓鬼を唱えて弔って通りなさい。塚に残る亡魂は確かにあるものだ。おろそかに思ってはならない。これが一つ。また、あちらに着いても何も変わったことはないだろう。何か変わることがあろうと思ってはならない。本当に、どうしても何も変わらないものである。これが一つ。また今の出家は信心がなく、小用の後に手を洗わず、経巻を取り仏を礼拝する類である。あちらで、そのような振る舞いをしてはならない。どこまでも身心を清らかにして礼拝し誦経し、仏神三宝に道心を祈り、万霊を弔い、自己の功徳を勤めなさい。善も悪も、ともに本に報いるという道理をよく知りなさい。これが一つ。
解説
この章句が説くこと
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説苑・奉使晏子將に荊に使いせんとす。荊王之を聞き、左右に謂いて曰く、「晏子は賢人なり。今方に來らんとす。之を辱めんと欲す、何を以てせん。」左右對えて曰く、「其の來るに爲り、臣請う一人を縛りて王を過りて行かしめん。」是に於て荊王晏子と立ちて語る。一人を縛る有り、王を過りて行く。王曰く、「何を爲す者ぞ。」對えて曰く、「齊人なり。」王曰く、「何の坐ぞ。」曰く、「盜に坐す。」王曰く、「齊人固より盜するか。」晏子反顧して之に曰く、「江南に橘有り、齊王人をして之を取りて江北に樹えしむるに、生じて橘と爲らず、乃ち枳と爲る。然る所以は何ぞ。其の土地之をして然らしむるなり。今齊人齊に居りて盜せず、荊に來りて盜す、土地之をして然らしむる無きを得んか。」荊王曰く、「吾子を傷つけんと欲して反りて自ら中れり。」
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論語・衛霊公篇子貢、仁を為すを問う。子曰く、「工、其の事を善くせんと欲すれば、必ず先ず其の器を利くす。是の邦に居るや、其の大夫の賢者に事え、其の士の仁者を友とす。」
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孫子・始計篇天とは、陰陽・寒暑・時制なり。
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孟子・盡心章句下孟子曰く、「君子の陳蔡の閒に戹するは、上下の交わり無ければなり。」
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孟子・滕文公章句下孟子、戴不勝に謂いて曰く、「子は子の王の善ならんことを欲するか。我明らかに子に告げん。此に楚の大夫有らんに、其の子の齊語せんことを欲すれば、則ち齊人をして諸に傅たらしめんか。楚人をして諸に傅たらしめんか。」曰く、「齊人をして之に傅たらしめん。」曰く、「一齊人之に傅たるも、衆楚人之を咻せば、雖日に撻(むちうつ)ちて其の齊たらんことを求むと雖も、得可からず。引いて之を莊嶽の間に置くこと數年ならば、日に撻ちて其の楚たらんことを求むと雖も、亦た得可からず。子、薛居州を善士と謂い、之をして王の所に居らしむ。王の所に在る者、長幼卑尊、皆薛居州ならば、王は誰と與にか不善を為さん。王の所に在る者、長幼卑尊、皆薛居州に非ざれば、王は誰と與にか善を為さん。一薛居州、獨り宋王を如何せん。」 <語釈> ○「咻」、音はキュウ、義はかまびすしくすること。○「莊嶽」、顧炎武云う、莊は是れ街の名、嶽は是れ里の名。
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『墨子』所染子墨子、染絲する者を見て歎じて言いて曰く、「蒼に染むれば則ち蒼く、黄に染むれば則ち黄なり。入るる所の者變ずれば、其の色も亦た變ず。五たび入れて已に五色と為る。故に染は慎まざる可からざるなり」と。