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驢鞍橋 / 卷上

一日語て曰く、何某殿は大なる修行者ではをりないか、何たる大病を受けて死すとも、隣あるきする樣に死なんと云はれたり。時に一僧云、只左樣に思ひたる計りにて、修行は仕さうな人に非す。師曰、ともあれ兎角大なる修行の種は有る人也。

新字:一日語て曰く、何某殿は大なる修行者ではをりないか、何たる大病を受けて死すとも、隣あるきする様に死なんと云はれたり。時に一僧云、只左様に思ひたる計りにて、修行は仕さうな人に非す。師曰、ともあれ兎角大なる修行の種は有る人也。

書き下し

一日語て曰く、何某殿は大なる修行者ではをりないか、何たる大病を受けて死すとも、隣あるきする様に死なんと云はれたり。時に一僧云、只左様に思ひたる計りにて、修行は仕さうな人に非す。師曰、ともあれ兎角大なる修行の種は有る人也。

現代語訳

ある日語って言われた。某殿は大いなる修行者ではないか。どんな大病を受けて死ぬとしても、隣を歩きに行くように死のう、と言われた。そのとき一人の僧が言った。ただそのように思っているだけで、修行をしそうな人ではありません。師は言われた。ともあれ、とにかく大いなる修行の種を持っている人である、と。

解説

どんな大病で死ぬとしても、隣の家に出かけるように死にたい、と言った武士を、正三は大修行者だと評価する。口先だけで修行しそうにないと冷ややかに言う僧に、それでも大きな修行の種を持つ人だ、と返す。まだ実践が伴っていなくても、その志の言葉に可能性を見る。人の未熟さを指摘するより、その中にある種を見出して育てようとする視点は、部下や後輩の可能性を見る目として大切にしたい。

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