驢鞍橋 / 卷上
一日語て曰く、何某殿は大なる修行者ではをりないか、何たる大病を受けて死すとも、隣あるきする樣に死なんと云はれたり。時に一僧云、只左樣に思ひたる計りにて、修行は仕さうな人に非す。師曰、ともあれ兎角大なる修行の種は有る人也。
新字:一日語て曰く、何某殿は大なる修行者ではをりないか、何たる大病を受けて死すとも、隣あるきする様に死なんと云はれたり。時に一僧云、只左様に思ひたる計りにて、修行は仕さうな人に非す。師曰、ともあれ兎角大なる修行の種は有る人也。
書き下し
一日語て曰く、何某殿は大なる修行者ではをりないか、何たる大病を受けて死すとも、隣あるきする様に死なんと云はれたり。時に一僧云、只左様に思ひたる計りにて、修行は仕さうな人に非す。師曰、ともあれ兎角大なる修行の種は有る人也。
現代語訳
ある日語って言われた。某殿は大いなる修行者ではないか。どんな大病を受けて死ぬとしても、隣を歩きに行くように死のう、と言われた。そのとき一人の僧が言った。ただそのように思っているだけで、修行をしそうな人ではありません。師は言われた。ともあれ、とにかく大いなる修行の種を持っている人である、と。
解説
どんな大病で死ぬとしても、隣の家に出かけるように死にたい、と言った武士を、正三は大修行者だと評価する。口先だけで修行しそうにないと冷ややかに言う僧に、それでも大きな修行の種を持つ人だ、と返す。まだ実践が伴っていなくても、その志の言葉に可能性を見る。人の未熟さを指摘するより、その中にある種を見出して育てようとする視点は、部下や後輩の可能性を見る目として大切にしたい。

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種志可能性覚悟評価死
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『文武訓』武訓下一或武人、敵と我、両人戦ふ時のこころをよめる拙き歌あり。身は捨てつ心ばかりははふらさじ人のうごきを待ちてぞ打つべきいふ意は、敵と戦ふに臨まば、身は捨つべし。身をのがれんと思へば、心みだれおそれひるみて、敵に勝つべき力なし。されど、心ひとつは失ふべからず。敵と戦ふ時に、つねの如くにして心を動すべからず。我方よりみだりにかからず、こらへて早くうつべからず、人の動をまちて、其隙を見て早くうつべし。是敵に勝つの道なりといへり。一士となる者、平生は温厚和平にして、いかりをおさへ色をはげしくすべからず。みづから楽み人を愛すべし。されども、常に志をたもち気を養ひて、義理にいさむべし。変にあひては、平生の志を守りて、勇剛を失ふべからず。
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史記 季布欒布列伝彼必ず自ら其の材を負み、故に辱めを受けて羞ぢず、其の未だ足らざる所を用ふる有らんと欲するなり、故に終に漢の名将と為る。賢者は誠に其の死を重んず。夫れ婢妾賤人の感慨して自殺する者は、能く勇なるに非ず、其の計画復た之く無きのみ。欒布の彭越を哭し、湯に趣くこと帰するが如き者は、彼誠に処る所を知り、自ら其の死を重んぜず。往古の烈士と雖も、何を以て加へんや。
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『驢鞍橋』卷上夜話の次で去る人、今時の出家には道心なしと云ふ。師聞て曰く、道心無き事は置て、先づ家を出たる者一人もなし。其故は今寺を追出したらば皆迷惑すべし。亦彼人云、今時の出家は仏事供養にも、施物少ければ悪く云ふ也。師曰く、それは当分使ふ事も有れは、貪るもまた道理あり、寺と云ふ物は、持つ程苦也。然れどもすき好みて離れす、未た持ざる者は是れを羨む。然るに志は宝也、志さへ少し付けは世間かいやに成るに仍て、望も休み、寺をも捨つる也。如是なり共修行者とは云はれず、され共是れ程の人も無し、況んや人喰犬のやうに急度咬みしめて居る気質を修し出す人無し。扨も是非なき事也。