驢鞍橋 / 卷上
一日僧問ふて云ふ、如何にしてか二王の機を修し出すべきや。師答て曰く、只死ぬ事を仕習ふべき也。我若き時大勢の敵の中へ、翅入り翅入りして死習ひけるが、是れは頓て入られたり。亦爰に二三人鎗を搆へて居る處に懸りて、胴腹を撞拔かれて死んで見るに死なれす、何としても入身に成り、其の頸を取り鎗を切折り抔して負けられず。如是さまざま死にならふとして此機を知る也。
新字:一日僧問ふて云ふ、如何にしてか二王の機を修し出すべきや。師答て曰く、只死ぬ事を仕習ふべき也。我若き時大勢の敵の中へ、翅入り翅入りして死習ひけるが、是れは頓て入られたり。亦爰に二三人鎗を搆へて居る処に懸りて、胴腹を撞抜かれて死んで見るに死なれす、何としても入身に成り、其の頸を取り鎗を切折り抔して負けられず。如是さまざま死にならふとして此機を知る也。
書き下し
一日僧問ふて云ふ、如何にしてか二王の機を修し出すべきや。師答て曰く、只死ぬ事を仕習ふべき也。我若き時大勢の敵の中へ、翅入り翅入りして死習ひけるが、是れは頓て入られたり。亦爰に二三人鎗を搆へて居る処に懸りて、胴腹を撞抜かれて死んで見るに死なれす、何としても入身に成り、其の頸を取り鎗を切折り抔して負けられず。如是さまざま死にならふとして此機を知る也。
現代語訳
ある日、僧が尋ねて言った。どのようにして仁王の気迫を修め出せばよいでしょうか。師は答えて言われた。ただ死ぬことを習いなさい。私は若いとき、大勢の敵の中へ飛び込み飛び込みして死に習ったが、これはやがて飛び込めるようになった。また、ここに二、三人が槍を構えているところに懸かって、胴腹を突き抜かれて死んでみると、死ねない。どうしても入り身になって、その首を取り、槍を切り折りなどして、負けることができない。このように、さまざまに死に習おうとして、この気迫を知ったのである、と。
解説
仁王の気迫をどう身につけるか、という問いに、正三は、ただ死に習えと答える。若いころ、敵陣に飛び込むことはすぐにできたが、槍を構えた数人に突き殺されてみようとしても、体が勝手に反撃して負けることができなかった、と。死を受け入れようとしても、生きようとする力が抵抗する。その葛藤を何度も繰り返す中で気迫を知った、という武士らしい体験談である。頭ではなく体で死と向き合う稽古の記録として読める。
この章句が説くこと
死に習う仁王坐禅武士体験葛藤稽古
関連する章句
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『驢鞍橋』卷下一日、僧来て曰く、此の五三日大に死苦迫て切也。何としてか此の苦を払ふべきや。師便ち阿二王のまねをなして曰く、此の機を以て遣るべし。此の外に遣様を知らすと也
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『驢鞍橋』卷上一日示して曰く、修行と云ふは勇猛の機一つ也。此心無くんば何たる行業も何たる善心も、皆徒事也。如来坐禅と二王坐禅と、あまり隔てあるべからず。面に現はしたると内に用ゐたるの替りなるべし。勇猛の機なくして、なにとして凡夫心にて死する時少しも使はれんや。亦なにを以て一切に勝つへきや。我は此機を頓て修し出したる間、人毎に頓て移らんずと思へとも、一人でも受けたる者なし。然れば是れ迄も修し付け難く、移し難き物と見えたり。時に去る者問、如何様にして此機を修し出すべきや。師示日、眼をすゑて死習ふ外なし。此糞袋をかたきにしてひた責めに責むべし。我が書く処の捨身の位、自己を守るの位をよく見て修せば、必す此機自然に起るへしと也。
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『驢鞍橋』卷上一日武士来て法要を問ふ。師示して曰く、後世を願ふと云ふは、此糞袋を何とも思はず打捨つる事也。是れを仕習ふより別の仏法を知らす、我は若き時より是れ計りを仕習ひし也。先づ千騎万騎抜きそろへたる備の中に超入り、胴腹を撞きぬかれて、死に死にして死習ひしに、是れは頓て仕習ひて超入られたり。亦谷底に大蛇口を張り居るに飛込み、角に取着き居習ふに、是れも頓て仕習ひて角に取着き居られたり。爰になにもなき坿の下ヘ、只落ちて死んで見るに、中中張合無くして飛ばれさる也。然れとも此比になつて少し飛ばるゝかと思ふ也。各々もなにとも思はず、自由に捨らるゝ程さまざま工みて、此身を捨習はるべし。なる程强き心を用ゐすして叶ふべからずと也。
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『驢鞍橋』卷上一日去る遁世者来て、修行の用心を問ふ。師示して曰く、万事を打置て唯死に習はるべし。常に死に習つて、死の隙を明け、誠に死する時、驚かぬやうにすべし。□て死に習はるべし。彼者云、盲安杖を常に披見仕る、是等を見る事も悪しや。師曰、見て覚ゆる事は皆怨也。只念仏を以て死を軽くすべし。
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『驢鞍橋』卷上一日去る侍に示して曰く、始めより忙敷中にて坐禅を仕習ふたるが好き也。殊に侍は鯨波の中に用ふる坐禅を仕習はで不叶、鉄鉋をばたばたと打立て、互に鑓先を揃へて、わつわつと云ふて乱れ逢ふ中にて、急度用ひて爰で使ふ事也。なにと静なる処を好む坐禅が、加様の処にて使はれんや。総して侍はなにと好き仏法なりと云ふとも、ときの声の内にて用に立たぬ事ならは、捨たがよき也。然る間常住二王心を守習ふ外なし。扨初心の者二王心の外にて、万事の上に使ふ事成るへからず。
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『驢鞍橋』卷下一日去る人自己を守らんとするに、取着き処無くして守れぬと云ふに示して曰く、中々好き合手こそあれ。先つ此身痛く痒く熱く寒く、四苦八苦満み満み不浄は積て湛へたり。扨て心中には八万四千の悪業煩悩の苦有り、やれやれいやな体哉。あな憎くの心め哉と此身心を合手にして、きつと睨付けて守るべし。之に增したる合手有らんや。我は始めより憂かりこの機がきつと備はり、此身に使はれ責めらるゝことかうゝて有りしに仍て、抜かしたうても自ら抜けす。左なき人は我悪いことに眼を付けて守るの外なし。必ずこの糞袋を合手にして、きつと張合て守るへし。如是なしてこそ、二王の機と云ふことをも知り、実も薄く成り、心も次第に自由に成るべし。総じて修行は、今使はるゝ様にすへき也。