驢鞍橋 / 卷下
一日、示して曰く、萬事の中に工夫をし習ふべし。物食ふ時も、物云ふ時も、一切の事業を作す上にも、拔かさぬ樣に用ひ習ふべき也。その心熟して、萬事と工夫と一枚に成る。是れを工夫の中に萬事を作すと云ふ也。兎角佛像程に仕付けすして使はるべからず。傳へ聞く、肥前の國温泉の本尊は四面菩薩也と云ふ。是れ四方八方に機の入渡つたる位也。十一面觀音と云ふもその心也。扨て又如來の湛然として在すも、機の十方に圓滿せる處也。總じて一方に傾けば、其方へ計り機ひけて脇は打明くもの也。我も三寳荒神迄は慥に知る□也。未た四面菩薩は知らす。無理にも後へは機くばられずと也。肥後の國岩戶山雲岩寺の本尊も、四面菩薩也。予慥に之を拜する也。
新字:一日、示して曰く、万事の中に工夫をし習ふべし。物食ふ時も、物云ふ時も、一切の事業を作す上にも、抜かさぬ様に用ひ習ふべき也。その心熟して、万事と工夫と一枚に成る。是れを工夫の中に万事を作すと云ふ也。兎角仏像程に仕付けすして使はるべからず。伝へ聞く、肥前の国温泉の本尊は四面菩薩也と云ふ。是れ四方八方に機の入渡つたる位也。十一面観音と云ふもその心也。扨て又如来の湛然として在すも、機の十方に円満せる処也。総じて一方に傾けば、其方へ計り機ひけて脇は打明くもの也。我も三宝荒神迄は慥に知る□也。未た四面菩薩は知らす。無理にも後へは機くばられずと也。肥後の国岩戸山雲岩寺の本尊も、四面菩薩也。予慥に之を拝する也。
書き下し
一日、示して曰く、万事の中に工夫をし習ふべし。物食ふ時も、物云ふ時も、一切の事業を作す上にも、抜かさぬ様に用ひ習ふべき也。その心熟して、万事と工夫と一枚に成る。是れを工夫の中に万事を作すと云ふ也。兎角仏像程に仕付けすして使はるべからず。伝へ聞く、肥前の国温泉の本尊は四面菩薩也と云ふ。是れ四方八方に機の入渡つたる位也。十一面観音と云ふもその心也。扨て又如来の湛然として在すも、機の十方に円満せる処也。総じて一方に傾けば、其方へ計り機ひけて脇は打明くもの也。我も三宝荒神迄は慥に知る□也。未た四面菩薩は知らす。無理にも後へは機くばられずと也。肥後の国岩戸山雲岩寺の本尊も、四面菩薩也。予慥に之を拝する也。
現代語訳
ある日示して言われた。万事の中で工夫を習いなさい。物を食べるときも、物を言うときも、一切の事業をなす上でも、抜かさないように用いることを習いなさい。その心が熟して、万事と工夫が一枚になる。これを、工夫の中に万事をなす、と言うのである。とにかく仏像ほどに身に仕付けなければ、使えるものではない。伝え聞くところでは、肥前の国の温泉の本尊は四面菩薩だという。これは四方八方に気迫が行き渡った位である。十一面観音というのもその心である。さてまた、如来が湛然としておられるのも、気迫が十方に円満しているところである。おおよそ一方に傾けば、そちらへばかり気迫が引けて、脇は空いてしまうものである。私も三宝荒神までは確かに知る□である。まだ四面菩薩は知らない。どうしても後ろへは気迫が配れないのである、と。肥後の国の岩戸山雲岩寺の本尊も四面菩薩である。私は確かにこれを拝した。
解説
この章句が説くこと
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