驢鞍橋 / 卷下
一日曰く、我今度娑婆に出て、何の詮も無く死する也。乍去今度の功德には、佛像を一つ見出したる計也。是れは定めて佛經に有るべし、後來尋ね見るべし。縱ひ無くとも如是勤めば錯なるべからすと也。
新字:一日曰く、我今度娑婆に出て、何の詮も無く死する也。乍去今度の功徳には、仏像を一つ見出したる計也。是れは定めて仏経に有るべし、後来尋ね見るべし。縦ひ無くとも如是勤めば錯なるべからすと也。
書き下し
一日曰く、我今度娑婆に出て、何の詮も無く死する也。乍去今度の功徳には、仏像を一つ見出したる計也。是れは定めて仏経に有るべし、後来尋ね見るべし。縦ひ無くとも如是勤めば錯なるべからすと也。
現代語訳
ある日言われた。私はこのたびこの世に出て、何の甲斐もなく死ぬのである。とはいえ、このたびの功徳としては、仏像を一つ見出しただけである。これはきっと仏経にあるだろう。後に尋ねてみなさい。たとえなくても、このように勤めれば誤りにはならないだろう、と。
解説
自分は何の甲斐もなく死んでいく、と正三は言いながら、ただ一つの功績として、仏像を一つ見出したことを挙げる。仁王のような気迫で修行するという、自分が見出した修行の形のことだろう。これはきっと経典にもあるはずだから後で探してみよ、なくてもこのように勤めれば間違いにはならない、と。生涯の成果を謙虚に一つに絞り、その正しさを後の検証に委ねる、潔い総括である。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
功徳仏像仁王禅総括検証謙虚
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論語・季氏篇孔子曰く、君子に三畏有り。天命を畏れ、大人を畏れ、聖人の言を畏る。小人は天命を知らずして畏れざるなり。大人に狎れ、聖人の言を侮る。
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