驢鞍橋 / 卷下
一日、去る老婆、若き女人五三人を相連立來て、後世の用心を問ふ。師示して曰く、我後世の願ひ樣と云ふは、此の糞袋を秘藏する念を申し消すべしと大願を立て、日夜强く念佛する計り也。時に一女曰く、左樣に勤め候へば、何の德有りや。師曰く、如是勤めては苦を離る也。總而後世を願ふと云ふは、死して後のことに非す、現に今苦を離れて大安樂に至ること也。然るにその苦は何より起ると思ふや。只此の身をかわゆかる念より起る也。此の身さへ無くんば、何か苦なるべき。故に此の身に離れたるを成佛とす。
新字:一日、去る老婆、若き女人五三人を相連立来て、後世の用心を問ふ。師示して曰く、我後世の願ひ様と云ふは、此の糞袋を秘蔵する念を申し消すべしと大願を立て、日夜强く念仏する計り也。時に一女曰く、左様に勤め候へば、何の徳有りや。師曰く、如是勤めては苦を離る也。総而後世を願ふと云ふは、死して後のことに非す、現に今苦を離れて大安楽に至ること也。然るにその苦は何より起ると思ふや。只此の身をかわゆかる念より起る也。此の身さへ無くんば、何か苦なるべき。故に此の身に離れたるを成仏とす。
書き下し
一日、去る老婆、若き女人五三人を相連立来て、後世の用心を問ふ。師示して曰く、我後世の願ひ様と云ふは、此の糞袋を秘蔵する念を申し消すべしと大願を立て、日夜强く念仏する計り也。時に一女曰く、左様に勤め候へば、何の徳有りや。師曰く、如是勤めては苦を離る也。総而後世を願ふと云ふは、死して後のことに非す、現に今苦を離れて大安楽に至ること也。然るにその苦は何より起ると思ふや。只此の身をかわゆかる念より起る也。此の身さへ無くんば、何か苦なるべき。故に此の身に離れたるを成仏とす。
現代語訳
ある日、ある老婆が若い女性を五、三人連れて来て、後世の心得を尋ねた。師は示して言われた。私の後世の願い方というのは、この糞袋を大切にする念を申し消そうと大願を立てて、日夜強く念仏するばかりである。そのとき一人の女性が言った。そのように勤めれば、何の得がありますか。師は言われた。このように勤めれば苦を離れるのである。おおよそ後世を願うというのは、死んだ後のことではない。現に今、苦を離れて大安楽に至ることである。それなら、その苦は何から起こると思うか。ただこの身をかわいがる念から起こるのである。この身さえなければ、何が苦になろうか。だから、この身から離れたのを成仏とする。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『驢鞍橋』卷下又曰く、常に身にうますべからす。濡袋の使、殺してくれんずと思ひ定て、身を打捨て使はるべし。総而若い衆能く心得めされよ。老婆は、も早色体の役に各なし。心一つの勤め也。若い衆の色のうるはしきは、悪血多き故也。其証拠には、あのお姥と其方達とならべて焼きたらば、其方抔臭かるべし。誠に婬欲一つも、大なる苦也。その故は、如是一座に双び居ても、その心なき者は楽也。扨てその心有る者は、增りて苦むに非すや。能く能く真実を起し、如何なる悪因にて、拙き女性と生れ来るか、又生々如是にて有らんか、口惜き次第也と、仏前に於て大願を起して、今度此の身を救ひめされよ、縦ひ出離迄こそなくとも、せめて変成男子ほどにせずんば、人界に生を得たる甲斐無し。又一生に成仏すると云ふ道理も、疑ひ無きこと也。
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『驢鞍橋』卷上一日老婆二三人来り、法要を問ふ。師我何にても教ふべき事を知らずと也。良有りて不図云ふ、しぬずよしぬずよ死ぬ事を忘れずして、念仏申しめされよと也。
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『驢鞍橋』卷上壬辰冬示して曰く、去る者法然上人に後生の願ひ機を問ふ。法然答て曰、後世を願ふと云ふは唯今頸を切らるゝ者の心に成りて、念仏申すべしと也。是れよき教也。誠に如是念仏せすんば、我執尽すべからずと也。
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『驢鞍橋』卷上一日去る人来て成仏を問ふ。師示して曰く、成仏と云ふは本来空に成る事也。元の如く我もなく、人も無く、法も無く、仏も無く、一切にくつとつゝ離れて、手を打払ふて際を明くる事也。悟にても何にても有らは、ろでは無き也。婆子焼庵の古則抔好き証拠也。亦曰く、隙なき人折々来る事無用也、我云ふ程の事は徳用、草分等に書く。あの外は云ふことなし。是れを好く見らるべし。彼者、随分修行仕れど少しも上らすと云ふ。師曰、たやすく成る事に非す、其やうに安く成る事ならば、我は羅漢にも菩薩にも成るへきが未た餓鬼畜生を離れす、然る間次第つよに修すへし。一旦頭の火を払ふ様なりとも、跡つゞかざれば用に立たす、急に成る事と思はゞ退屈すへしと也。
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『驢鞍橋』卷下一日、去る女人来り曰く、我志は少し候へども、無智なるに仍て修行成し得すと云ふ。示して曰く、扨ても能き性哉、後世を願ふには、只土が好き也。智恵才覚も入らす、知つたほどのことは皆怨也。只一切の上に於て、我を捨て習ふこと一つ也。因に云ふ爰に去る女人有り、無智とこそ云へ、中々土な性なりけるが、我物語を聞き頓て真実起りたり。扨ても拙なき女人と成り、様々の悪念を胸に持て居ること哉。頓て死すべきが、此の念を離れず、此の儘死すべきかと思ふより、心切に成り、昼夜勤められければ、ひしと死苦に責め詰められ、大事一片と成り、姥共を集め、高念仏抔申し、万事を打忘て居る不思議の女仏法者有り、結句土の性が思付て好き也。其方も勢を出されよと也。
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『驢鞍橋』卷上一日武士来て法要を問ふ。師示して曰く、後世を願ふと云ふは、此糞袋を何とも思はず打捨つる事也。是れを仕習ふより別の仏法を知らす、我は若き時より是れ計りを仕習ひし也。先づ千騎万騎抜きそろへたる備の中に超入り、胴腹を撞きぬかれて、死に死にして死習ひしに、是れは頓て仕習ひて超入られたり。亦谷底に大蛇口を張り居るに飛込み、角に取着き居習ふに、是れも頓て仕習ひて角に取着き居られたり。爰になにもなき坿の下ヘ、只落ちて死んで見るに、中中張合無くして飛ばれさる也。然れとも此比になつて少し飛ばるゝかと思ふ也。各々もなにとも思はず、自由に捨らるゝ程さまざま工みて、此身を捨習はるべし。なる程强き心を用ゐすして叶ふべからずと也。