驢鞍橋 / 卷上
一日向衆曰く、我此前より娑婆捨つたと思ひたるか、今思ふにそでも無き事也。さず今のもまだでかうろではあらしと思はるゝ也。
書き下し
一日向衆曰く、我此前より娑婆捨つたと思ひたるか、今思ふにそでも無き事也。さず今のもまだでかうろではあらしと思はるゝ也。
現代語訳
ある日、衆に向かって言われた。私は以前から娑婆を捨てたと思っていたが、今思えばそうでもないことだった。そして今のもまだ、たいしたものではないと思われる、と。
解説
俗世の執着を捨てたと思っていたが、振り返るとそうでもなかった、と正三が弟子たちに率直に語る短い条である。そして今の境地も、まだ大したことはないと思う、と続ける。晩年に至ってもなお、自分の到達点を疑い続ける姿勢がここにある。できたと思った瞬間から成長は止まる。過去の自分を振り返って未熟だったと気づけるのは、成長している証拠でもある。自分の現在地を常に疑う謙虚さを伝えている。
この章句が説くこと
執着謙虚自己点検成長娑婆振り返り
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