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驢鞍橋 / 卷上

因に曰く、我も此前、某殺生ずきなり、殺生を以て成佛するやうに示せと云ふ人に示したる事有り、我云ふは、其方鳥を殺す毎に、彼かはねくるつてきやつきやつと云ふて死するは面白きや。然らば其方の死なん時も亦面白からんや、悅びて死にめされば成佛也。成佛と云ふは、心安く死ぬ事也。然る間彼を殺す每に、我胴骨を推折られて、共に死習ひ死習ひして、打笑つて死なるゝほどにせらるべし。是れ眞の殺生の人也。如是殺生せずんば、侍の比興也と云ひければ、彼者ひしとつまり、殺生を止め、後は修行に進みし也。我も萬德の事、誰にも習はざれども、自由に死なれざる事を苦にし、さまざま鍊鍛ふとして此旨を知る也。吾法は臆病佛法と也。

新字:因に曰く、我も此前、某殺生ずきなり、殺生を以て成仏するやうに示せと云ふ人に示したる事有り、我云ふは、其方鳥を殺す毎に、彼かはねくるつてきやつきやつと云ふて死するは面白きや。然らば其方の死なん時も亦面白からんや、悅びて死にめされば成仏也。成仏と云ふは、心安く死ぬ事也。然る間彼を殺す毎に、我胴骨を推折られて、共に死習ひ死習ひして、打笑つて死なるゝほどにせらるべし。是れ真の殺生の人也。如是殺生せずんば、侍の比興也と云ひければ、彼者ひしとつまり、殺生を止め、後は修行に進みし也。我も万徳の事、誰にも習はざれども、自由に死なれざる事を苦にし、さまざま錬鍛ふとして此旨を知る也。吾法は臆病仏法と也。

書き下し

因に曰く、我も此前、某殺生ずきなり、殺生を以て成仏するやうに示せと云ふ人に示したる事有り、我云ふは、其方鳥を殺す毎に、彼かはねくるつてきやつきやつと云ふて死するは面白きや。然らば其方の死なん時も亦面白からんや、悅びて死にめされば成仏也。成仏と云ふは、心安く死ぬ事也。然る間彼を殺す毎に、我胴骨を推折られて、共に死習ひ死習ひして、打笑つて死なるゝほどにせらるべし。是れ真の殺生の人也。如是殺生せずんば、侍の比興也と云ひければ、彼者ひしとつまり、殺生を止め、後は修行に進みし也。我も万徳の事、誰にも習はざれども、自由に死なれざる事を苦にし、さまざま錬鍛ふとして此旨を知る也。吾法は臆病仏法と也。

現代語訳

ついでに言われた。私も以前、殺生好きだから殺生によって成仏するように示してくれ、と言う人に示したことがある。私が言ったのは、あなたは鳥を殺すたびに、鳥が跳ね狂ってぎゃあぎゃあと言って死ぬのが面白いか。それなら、あなたが死ぬときもまた面白いか。喜んで死なれるなら成仏である。成仏というのは、心安く死ぬことである。だから、鳥を殺すたびに、自分の胴骨を押し折られて、ともに死に習い死に習いして、笑って死ねるほどにされるがよい。これが本当の殺生の人である。このように殺生しないなら、侍の卑怯である、と言ったところ、その者はぐっと詰まって殺生をやめ、のちには修行に進んだのである。私も万徳のことは誰にも習わなかったが、自由に死ねないことを苦にして、さまざまに練り鍛えようとして、この趣旨を知ったのである。我が法は臆病仏法である、と。

解説

殺生で成仏する道を示せと言う武士に、正三は、鳥の断末魔を面白がるなら、自分が死ぬときも面白がれ、殺すたびに自分も殺されるつもりで死に習え、それができないなら卑怯だ、と迫った。武士は言葉に詰まり、殺生をやめて修行に入った。相手の論理をそのまま突き詰めて、自ら気づかせる見事な導き方である。そして正三は、自分の法は死を恐れる臆病から生まれた臆病仏法だ、と自嘲する。弱さを出発点とする誠実さがある。

この章句が説くこと

殺生臆病仏法導き死に習う気づき武士

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