驢鞍橋 / 卷上
一日誦經の次て示して曰く、体をすつくと持ち、機をほぞの下に落し付け、眼をすゑて誦經すべし。如是せは誦經を以て禪定の機を修し出すべし。ぬけからに成りて誦せば、功德とも成るへからすと也。
新字:一日誦経の次て示して曰く、体をすつくと持ち、機をほぞの下に落し付け、眼をすゑて誦経すべし。如是せは誦経を以て禅定の機を修し出すべし。ぬけからに成りて誦せば、功徳とも成るへからすと也。
書き下し
一日誦経の次て示して曰く、体をすつくと持ち、機をほぞの下に落し付け、眼をすゑて誦経すべし。如是せは誦経を以て禅定の機を修し出すべし。ぬけからに成りて誦せば、功徳とも成るへからすと也。
現代語訳
ある日、誦経のついでに示して言われた。体をすっくと保ち、気迫を臍の下に落ち着け、目を据えて誦経しなさい。このようにすれば、誦経によって禅定の気迫を修め出すことができる。抜け殻になって誦経すれば、功徳にもならないだろう、と。
解説
お経を読むという日常の勤めを、禅定の修行に変える具体的な方法である。背筋を伸ばし、気を下腹部に落とし、目を据える。同じお経でも、抜け殻で唱えれば何の功徳もないという。正三は坐禅だけでなく、読経、念仏、日々の仕事など、あらゆる行いを気迫の修行の場にした。姿勢と呼吸と目の据え方を整えるだけで、毎日の決まった作業が、集中を鍛える場に変わるという考え方は、現代の仕事にも応用できる。
この章句が説くこと
誦経姿勢丹田禅定日常集中
関連する章句
-
『驢鞍橋』卷下一日、誦経の次、示して曰く、誦経は機のすわる位を本意とす、無理看経、抜殻坐禅抔して機をへらすべからす。只誦経を以て機のすわる位を仕習ふべし、是れ煉磨也
-
『驢鞍橋』卷上一日示して曰く、平生禅定にて居るほど、坐禅を仕習ふへし。浄土宗には念仏を以て信心を申し起し、禅宗には坐禅を以て無相無念の本心を修し出だす也。然る間强く眼をつけて、自ら勇猛精進の心湧出づるほど修すべし。左無くんば彼煩悩に負けて、坐禅常住なるへからずと也。
-
『驢鞍橋』卷上又曰、諸芸皆禅定の機を以て為す事也。就中兵法抔はぬけた心にて使はるべからずと、自らきつと太刀を構へたる模様を為して曰、皆是れ禅定の機也、然れとも兵法者は使ふ時計り禅定にて、太刀を置くと早抜ける也。然るに仏道修行の者は、常住抜かさず此機を用ふる也。此故に一切に負ける事なし。次第に煆錬じ熟するに随つて、謡や拍子の様なる事にも合ふて、万事に相応して万徳円満也。如是用ふるを仏法と云ふ也。
-
『驢鞍橋』卷上夜話に曰く、修行と云ふ物、中中上り難き物也。我今十二時中坐禅ならさる事なし。喩へは大勢に交り、上下へかえし、相撲を取り、躍をゝとり、何程はね狂ひたりとも、坐禅の機少しもたじろくへからす。また好く若き時より心つきて自己を守りしが、其時分よりはや念には勝つてばかされざる也。夫れより次第よく修しつめ何たる事にもたじろかぬほどに仕付けたれども、まだ夫れでも生死の為めには不成、中々大儀な物也。
-
『驢鞍橋』卷上夜話の次で僧問ふ、坐禅の時は古則をも不念、念仏をも申さず、只ぬんとしたる機を用ゐたるが好きなりや。師曰、中々只ぬんと用ふべし。亦機を付けて為さば古則陀羅尼念仏も一つ事なり、其内に機の沈まぬやうに用ふる計り也。扨急度機の活きるやうにせんと思はば、達磨の面に眼を着けて、睨み坐禅を作すべしと也。
-
『驢鞍橋』卷上然るに今時仏法廃れ果て、すべ悪く成りて、活きた機を用ゆる者なし。皆死漢計り也。仏道には活漢とて活きた機を用ゆること是れを知らす、殊勝になん柔和になり、沈入りて仏法と思へり。或は悟りたる抔とさもなきことを鼻に上げ狂ひありく者多し。只我は殊勝けなことをも、悟りけなことをも知らす、十二時中浮心を以て万事に勝つ事計り用ゆる也。何れも二王不動の堅固の機を受修し行して、悪業煩悩を滅すべしと自ら眼をすゑ、拳を握り歯ぎしりして曰く、きつと張懸けて守る時、何にても面を出す者なし。始終此勇猛の機一つを以て、修行は成就する也。別に入ること無し。何たる行業もぬけがらに成りてせば、用に立つべからず。强く眼を著けて禅定の機を修し出すべしと也。