驢鞍橋 / 卷上
一日强く陀羅尼を誦する人來るに示して曰く、他念無く咒をくらるゝ事なにより好き事也。功を積まば業障盡き、病もぬけ壽も延び、心の苦も休み、臨終も正念なるべし、因に去る者曰く、某殿修行精に入られけるが、此比は機輕く体迄若やぎて見ゆると云ふ。師聞て曰く、中々さなくては、是非を思ふ念薄くなり、童に成るほとに若く見ゆへし。我も七十に余れとも、機また十八九にて居る也。
新字:一日强く陀羅尼を誦する人来るに示して曰く、他念無く咒をくらるゝ事なにより好き事也。功を積まば業障尽き、病もぬけ寿も延び、心の苦も休み、臨終も正念なるべし、因に去る者曰く、某殿修行精に入られけるが、此比は機軽く体迄若やぎて見ゆると云ふ。師聞て曰く、中々さなくては、是非を思ふ念薄くなり、童に成るほとに若く見ゆへし。我も七十に余れとも、機また十八九にて居る也。
書き下し
一日强く陀羅尼を誦する人来るに示して曰く、他念無く咒をくらるゝ事なにより好き事也。功を積まば業障尽き、病もぬけ寿も延び、心の苦も休み、臨終も正念なるべし、因に去る者曰く、某殿修行精に入られけるが、此比は機軽く体迄若やぎて見ゆると云ふ。師聞て曰く、中々さなくては、是非を思ふ念薄くなり、童に成るほとに若く見ゆへし。我も七十に余れとも、機また十八九にて居る也。
現代語訳
ある日、強く陀羅尼を唱える人が来たので、示して言われた。他の念なく呪文を繰られることは、何より良いことである。功を積めば業障が尽き、病も抜け、寿命も延び、心の苦しみも休み、臨終も正念であろう。ついでに、ある者が言った。某殿は修行に精を入れておられましたが、近ごろは気迫が軽く、体まで若やいで見えます。師は聞いて言われた。なるほど、そうでなくては。是非を思う念が薄くなり、童のようになるから、若く見えるのだろう。私も七十を過ぎたが、気迫はまだ十八、九でいるのである、と。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『不動智神妙録』一心の明らめやう神道、歌道、儒道とて道多く候へども、皆この一心の明なる所を申し候、言葉にて心を講釈したぶんにてはこの一心人と我身にあたりて、昼夜善事悪事とも業により家を離れ国を亡し其身の程々にしたがひ、善し悪しともに心の業にて候へども、此心を如何やうなるものぞと悟り明らむる人なく候て、皆心に感され候、
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孫子・作戦篇故に敵を殺すは怒なり、敵の利を取るは貨なり。故に車戦、車十乗以上を得ば、其の先ず得たる者を賞し、其の旌旗を更め、車は雑えて之に乗り、卒は善くして之を養う。是を敵に勝ちて益々強しと謂う。
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呂氏春秋・論威③凡そ軍は其の衆きを欲し、心は其の一なるを欲す。三軍心を一にすれば、則ち令、敵無からしむ可し。令能く敵無き者は、其の兵の天下に於けるや、亦た敵無し。古の至兵、民の令を重んずること、天下より重く、天子より貴し。其の民心に藏せられ、肌膚に捷するや、深痛執固にして、搖蕩す可からず、物の之を能く動かすもの莫し。此の若ければ則ち敵胡ぞ勝つに足らん。故に曰く、其の令彊き者は其の敵弱く、其の令信なる者は其の敵詘す、と。先づ之に此に勝てば、則ち必ず之に彼に勝つ。
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説苑・說叢士は利を以て移らず、患を為して改めず、孝敬忠信の事立てば、死すと雖も悔いず。智にして私を用うるは、愚にして公を用うるに如かず。故に曰く、巧偽は拙誠に如かずと。學問倦まざるは、己を治むる所以なり。教誨厭わざるは、人を治むる所以なり。虛無を貴ぶ所以の者は、變に應じて時に合するを得ればなり。冠故しと雖も、必ず首に加う。履新たなりと雖も、必ず足に關す。上下分有り、相倍くべからず。一心は以て百君に事うべく、百心は以て一君に事うべからず。故に曰く、心を正しくし、又た言を少なくせよと。
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呂氏春秋・論威②人情、生を欲して死を惡み、榮を欲して辱を惡む。死生榮辱の道一なれば、則ち三軍の士、心を一にせしむ可し。
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『呻吟語』内篇・應務・齊日に雜夢無し將に祭らんとして其の思慮の齊しからざるを齊しくするは、惟だ惡念のみならず、就ち是れ善念も也た該に動かざるべきなり。這の三日の裡は、時時刻刻只だ那の祭る所の者の身上に在りて、更に別個の想頭無し。故に精白一心と曰ふ。才かに一毫雜なれば便ち是れ精白ならず、才かに二なれば便ち是れ一心ならず。故に君子は平日に邪夢無く、齊日に雜夢無し。