驢鞍橋 / 卷上
一日人來り語て曰く、此比或る山の學頭、去る方より施物金三百兩給はるを、十五兩づゝ下人共に皆取らせ、我處には一錢も畜へ給はす。師聞て曰、無欲の心は有り難し、然れども理の暗き人なり。下人どもの奉公して、施しの成程二分一兩の事は然るべし。大事の施物を非分にくるゝ事は、道理なき事也。時に去る者曰、乍去其も増しかと存ず、今時の後世願ひは欲深く成ると人の批判有り。師曰、費厭ふを欲と見る者も有るべし。乍去世の費を深く厭ふ事は、佛の成し給ふ處也。扨欲深きは惡敷事也、畢竟は我爲めに物をほしからぬかよき也。
新字:一日人来り語て曰く、此比或る山の学頭、去る方より施物金三百両給はるを、十五両づゝ下人共に皆取らせ、我処には一銭も畜へ給はす。師聞て曰、無欲の心は有り難し、然れども理の暗き人なり。下人どもの奉公して、施しの成程二分一両の事は然るべし。大事の施物を非分にくるゝ事は、道理なき事也。時に去る者曰、乍去其も増しかと存ず、今時の後世願ひは欲深く成ると人の批判有り。師曰、費厭ふを欲と見る者も有るべし。乍去世の費を深く厭ふ事は、仏の成し給ふ処也。扨欲深きは悪敷事也、畢竟は我為めに物をほしからぬかよき也。
書き下し
一日人来り語て曰く、此比或る山の学頭、去る方より施物金三百両給はるを、十五両づゝ下人共に皆取らせ、我処には一銭も畜へ給はす。師聞て曰、無欲の心は有り難し、然れども理の暗き人なり。下人どもの奉公して、施しの成程二分一両の事は然るべし。大事の施物を非分にくるゝ事は、道理なき事也。時に去る者曰、乍去其も増しかと存ず、今時の後世願ひは欲深く成ると人の批判有り。師曰、費厭ふを欲と見る者も有るべし。乍去世の費を深く厭ふ事は、仏の成し給ふ処也。扨欲深きは悪敷事也、畢竟は我為めに物をほしからぬかよき也。
現代語訳
ある日、人が来て語った。近ごろ、ある山の学頭が、ある方から施し物の金三百両を賜ったのを、十五両ずつ下人たちにみな取らせ、自分のところには一銭も蓄えられませんでした。師は聞いて言われた。無欲の心はありがたい。けれども道理に暗い人である。下人たちが奉公して、施しとしてなるほど二分や一両のことならよい。大事な施し物を分に過ぎて与えるのは、道理のないことである。そのとき、ある者が言った。とはいえ、それもましではないかと存じます。今どきの後世を願う人は欲深くなる、と世間の批判があります。師は言われた。無駄を嫌うことを欲と見る者もいるだろう。けれども、世の無駄を深く嫌うのは、仏がなさったことである。さて欲深いのは悪いことだ。結局は、自分のために物を欲しがらないのがよいのである、と。
解説
この章句が説くこと
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