驢鞍橋 / 卷下
或る人語て曰く、此前、行脚の時、師好んて惡き宿を借り給ふ。我同じ錢を出しなから、惡き宿は御無用也と云ひければ、師曰く、同じ錢を出すならば、人の爲めに成るやうにせでは。好き宿は、人每に借る間、事欠かす。惡しき宿の人に借れず、つゝきかぬる處に助留りに留りたるは、功德に非ずや。少し我身不自由なる分は、一夜のこと也と云つて、彌惡しき宿に留り給ふと也。
新字:或る人語て曰く、此前、行脚の時、師好んて悪き宿を借り給ふ。我同じ銭を出しなから、悪き宿は御無用也と云ひければ、師曰く、同じ銭を出すならば、人の為めに成るやうにせでは。好き宿は、人毎に借る間、事欠かす。悪しき宿の人に借れず、つゝきかぬる処に助留りに留りたるは、功徳に非ずや。少し我身不自由なる分は、一夜のこと也と云つて、弥悪しき宿に留り給ふと也。
書き下し
或る人語て曰く、此前、行脚の時、師好んて悪き宿を借り給ふ。我同じ銭を出しなから、悪き宿は御無用也と云ひければ、師曰く、同じ銭を出すならば、人の為めに成るやうにせでは。好き宿は、人毎に借る間、事欠かす。悪しき宿の人に借れず、つゝきかぬる処に助留りに留りたるは、功徳に非ずや。少し我身不自由なる分は、一夜のこと也と云つて、弥悪しき宿に留り給ふと也。
現代語訳
ある人が語って言った。以前、行脚のとき、師は好んで粗末な宿を借りられた。私が、同じ銭を出しながら、粗末な宿はおやめください、と言うと、師は言われた。同じ銭を出すなら、人のためになるようにしなければ。良い宿は、誰もが借りるので事欠かない。粗末な宿は人に借りられず、立ち行きかねているところに、助けとして泊まってやるのは功徳ではないか。少し自分の身が不自由な分は、一夜のことである、と言って、ますます粗末な宿に泊まられた、という。
解説
旅の途中、正三は好んで粗末な宿に泊まった。同じ代金なら良い宿に、と言う弟子に、良い宿は放っておいても客が来るが、粗末な宿は客が来ずに困っている、そこに泊まるのは功徳だ、自分が少し不自由なのは一夜のことだ、と答える。同じお金を使うなら、それを最も必要としているところに使う。消費を通じて人を支えるという、今でいう応援消費や倫理的消費の考え方を先取りした逸話である。
この章句が説くこと
応援消費功徳宿お金の使い方不便支える
関連する章句
-
『驢鞍橋』卷上一日人来り語て曰く、此比或る山の学頭、去る方より施物金三百両給はるを、十五両づゝ下人共に皆取らせ、我処には一銭も畜へ給はす。師聞て曰、無欲の心は有り難し、然れども理の暗き人なり。下人どもの奉公して、施しの成程二分一両の事は然るべし。大事の施物を非分にくるゝ事は、道理なき事也。時に去る者曰、乍去其も増しかと存ず、今時の後世願ひは欲深く成ると人の批判有り。師曰、費厭ふを欲と見る者も有るべし。乍去世の費を深く厭ふ事は、仏の成し給ふ処也。扨欲深きは悪敷事也、畢竟は我為めに物をほしからぬかよき也。
-
『驢鞍橋』卷下一日、食事の次、曰く、娑婆に出ては、なにとずして娑婆を費したるほど責めて、娑婆に功徳をかへして行き度物也。時に長老有り曰く、三分か一もかへす者有るべからす。師曰く、いや職人の中には有るべし、殊に百姓に成てかへしたし。あゝ大事也大事也と也。
-
『驢鞍橋』卷上古来先達の行脚と云ふは、師を尋ね道を求め、身命を不願、千万里の行脚をなすも有り、或は得法の人、諸方を勘弁に行脚せられたるも有り、或は丈夫底の人、万縁に触れ、いよいよ性をためさん為めの行脚も有り、或は心有る人山水草木に向て、心を磨かん為めの行脚は有れとも、其方如きの途方無き者の行脚を為し、徳有る事を知らす。在在処処を妄にうろたへ廻り、無作法者と成り、為方無くは盗をもし、忽ち故なく悪人と成るへし。此つれに行脚して売僧に成り、気違ひに成りたる者数を知らす。我彼様の者にあきはてり、沙汰を聞くもいや也。若し我異見をも聞かば留るべし、左無くは向後出入無益也。今世後世の綠を切ると大に呵し給へは、其者頓て留りぬ。
-
『驢鞍橋』卷上或る人来り去る貧僧の処に大分の金を借用に来る人有りと語る。師聞て云、総して人は考なき物也。金銀は我乏き物と知らば、余所も然るべしと知るべきに、左は無くして只余所の金をば、石か土かなとを取来るやうに思ふ物也。
-
『驢鞍橋』卷下一老兄の曰く、師元より一人なりとも好く成るを悅ひ給へども、畢竟は国王大臣に移し、普く万民を度せんとの所存たりし也。又相随ふ者をも指して、一人を親み玉ひ愛見の慈なし。只法界を憐み給ふ機也。殊に衆を我者にし給ふことなし。随ひ居る小僧共をも、天然と同輩に思ひ給ふ位有り。故に何十年随ひ居ても、初参の時の如しと也。
-
『驢鞍橋』卷上師聞て曰く、扨も能き方便の仕やう哉。是れ貴き人也。亦如是業人菩提心発る事、念仏の功徳有難き事也。便ち衆中に向つて曰く、各々も二三年勤めたる処を、千両にも万両にも買はんと云ふ者有りとも、売らんと云ふ機は有るへからず。然れば亦大なる功徳備はる物に非すやと也。