驢鞍橋 / 卷下
扨て又無間地獄の苦と云ふも、此の身にて受る苦也。然るに此の理を知らす、此の身を秘藏本のまゝし、却てけすりけわつて執着の念强く、日夜地獄を造り堅めて樂み居らること、扨て扨て怖しきこと哉。何れも顧て愼むべし。憎い愛い慳い貪い、妬み嫉み、扨て熱い寒い、痛い痒いと片時も安きことなく責めらるゝと、覺えめされたるか。加樣に間もなき苦を受くる躰を受け來るを無間と云ふ也。外より來らす。扱て又如是の苦躰は何より得ると思ふや。只今各日夜造り出す念によりて得る也。
新字:扨て又無間地獄の苦と云ふも、此の身にて受る苦也。然るに此の理を知らす、此の身を秘蔵本のまゝし、却てけすりけわつて執着の念強く、日夜地獄を造り堅めて楽み居らること、扨て扨て怖しきこと哉。何れも顧て慎むべし。憎い愛い慳い貪い、妬み嫉み、扨て熱い寒い、痛い痒いと片時も安きことなく責めらるゝと、覚えめされたるか。加様に間もなき苦を受くる体を受け来るを無間と云ふ也。外より来らす。扱て又如是の苦体は何より得ると思ふや。只今各日夜造り出す念によりて得る也。
書き下し
扨て又無間地獄の苦と云ふも、此の身にて受る苦也。然るに此の理を知らす、此の身を秘蔵本のまゝし、却てけすりけわつて執着の念强く、日夜地獄を造り堅めて楽み居らること、扨て扨て怖しきこと哉。何れも顧て慎むべし。憎い愛い慳い貪い、妬み嫉み、扨て熱い寒い、痛い痒いと片時も安きことなく責めらるゝと、覚えめされたるか。加様に間もなき苦を受くる体を受け来るを無間と云ふ也。外より来らす。扱て又如是の苦体は何より得ると思ふや。只今各日夜造り出す念によりて得る也。
現代語訳
さてまた、無間地獄の苦というのも、この身で受ける苦である。それなのに、この道理を知らず、この身を大切にしたままにして、かえって削り化粧して執着の念を強くし、日夜地獄を造り固めて楽しんでおられること、さてさて恐ろしいことだな。誰も顧みて慎みなさい。憎い、愛しい、惜しい、貪りたい、妬み、嫉み、さて暑い、寒い、痛い、痒いと、片時も安らかなことなく責められていると、覚えておられるか。このように間断のない苦を受ける体を受けてきたのを無間と言うのである。外から来るのではない。さてまた、このような苦の体は何から得ると思うか。ただ今、それぞれが日夜造り出している念によって得るのである。
解説

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『驢鞍橋』卷下去る暁、衆中に向て曰く、扨てもたわけたこと哉、何の変も無い物を楽むこと也。立つも苦、居るも苦、熱も苦、寒も苦、痛も苦、痒も苦、病苦死苦有り、扨て又随ふを愛し、背くを怨み、扨て扨ていやな苦体哉。平生此の道理計を考へたるか能き也。誠に此の腐物に付で一として楽むべきこと無きか、何としても秘蔵にて居る也。
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『驢鞍橋』卷上誠に大病抔受けて大寒大熱して前後も知らず、わつわつと叫ぶやうの苦患を受くる抔は、生きながら我性の地獄の業を感ずる時なるべし。さあればこそ病人後世を願へば、必す無病に成る也。我もこの前は折々地獄に堕ちけるが、最早此比は不落、其故は悪夢を見さる也。又曰、就中今時出家衆は、生きながら地獄に落つべし。無道心にて信施をきられば、さなくとも死後あめうしにはならるへし。御坊主達大事也。
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『驢鞍橋』卷中如是なる身を愛するを愚人と云ひ、殺得するを道者とす。此の理を忘れすして、捨身を本意として行脚すへし。油断あらは、大地獄に入るへし。此の身を捨て切り、浮世にはなれ切らずは、仏果に到る事有るへからす。食乏しき時は、此の身に餓鬼ある事を知て責むへし。瞋恚の発る時は、則ち地獄の衆生なる事を知て責むへし。愚痴蒙昧の時は、則ち畜生なりと知て責むへし。大小便の時は、臭肉不浄を以て責むへし。起居動静について臭皮袋を責めて、終に責め破る時節有らは、即心成仏なるへし。是れを日々に読みて責むへし。必す読み聞かすへし。懈怠有るからす。已上。
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『驢鞍橋』卷上又云、扨もたわけた事哉。喰はねば飢るし、着ねば寒し、洗はねばむさし、夏は熱し、扨痛し痒し、何の用にも無き物を楽む事哉。如是秘蔵して何の為めぞと思へば、日夜悪業計りを作して、永刧の苦因となす。極めて愚なる事に非ずや。只能く此道理を信得して、此からだに離るべき也。嗚呼是非に及ばぬは、今時の出家此道理を忘れ、仏法を外に心得、悟を求め、見解を求め、経文語録に着し、剰へ名聞利養に住す。法の筋の差ふたる事天地遥也。当寺の衆も爰に於て大に驚き、飛んて出づる程思はれずんば、何の詮も有るべからずと也。
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『驢鞍橋』卷上又彼者、悪心休み欲心抔なしと云ふ。師曰、少しの処収りぬれば、是となし居る物也。何程無欲に成り、人好く成りたりとも、此娑婆を楽む念、又我身を思ふ念は休むへからす。是れを離れすんば皆是れ輪廻の業也。是念を滅するには、身心は是れ怨家なりときつと睨詰めて、念仏を以て責滅すばかり也。別に道理の入る事にも非ず、智恵の入る事にも非す、人を頼みて成仏する事にも非す、人の引て地獄へ落すにも非す、地獄へも天道へも只今の念が引て往く也。瞋恚は地獄、欲心は餓鬼、愚癡は畜生、是れを三悪道と云ふ也。此上に修羅人間天上の三善道を加へて、六道と云ふ也。皆是れ一心の内に有る六道也。此間を離れす、上に登り、下に下り、廻り休まさるを六道輪廻と云ふ也。
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『驢鞍橋』卷中又此の恥は、浮世の人知らされば、苦しからずとは云はんや。夢幻なる人間の中の恥をだに愚に思ふは更になし。況や未来永劫の恥に於てをや。此の理をしらさるを、理を知る人と云はんや、義ある人となさんや。さりとては兼て思ひ知り給ふへし。理ある人間ならは、是れを恐るへし。義ある人ならは、勇猛堅固の心釼を以て、生死の敵を截断して、大平に住すへしと云ふはさまざまの異生となり、悪道に輪廻し、世々生々耻を曝さん事、口惜き事に非すや。是れを永劫の苦みと云ふ也。是れをかへりみすと云ふこと有らんや。なに人の知るぞ知らぬぞと云ふ間ならんや。さりとては兼てよふ思ひ知り、勇猛心を以て生死を修し離れて、大安楽に住せよと云ふ事也。是れまてはいさめの分式也。末はおつとつて心の用ゐ様也。