驢鞍橋 / 卷下
夜話の次曰く、今時濟家の風は、如何にもけわいすまして打上り、上手に成りて居らるる間、何としても佛法起り難たかるべし。後來必す曹洞宗の土田夫の家風より法起ること有るべしと也。
新字:夜話の次曰く、今時済家の風は、如何にもけわいすまして打上り、上手に成りて居らるる間、何としても仏法起り難たかるべし。後来必す曹洞宗の土田夫の家風より法起ること有るべしと也。
書き下し
夜話の次曰く、今時済家の風は、如何にもけわいすまして打上り、上手に成りて居らるる間、何としても仏法起り難たかるべし。後来必す曹洞宗の土田夫の家風より法起ること有るべしと也。
現代語訳
夜話のついでに言われた。今どきの臨済の家風は、いかにも化粧をすましたように高くとまり、上手になっておられるので、どうしても仏法は起こりにくいだろう。後の世には、必ず曹洞宗の土くさい農夫の家風から法が起こることがあるだろう、と。
解説
今の臨済宗は、化粧をすましたように取り澄まし、洗練されて上手になりすぎているので、そこから仏法が興ることは難しい、と正三は言う。むしろ土にまみれた農夫のような素朴な曹洞宗の家風から、将来きっと法が興る、と。洗練されすぎた組織や文化は活力を失い、泥臭い現場から新しい力が生まれる。臨済将軍・曹洞土民という言葉を踏まえた、組織の盛衰を見通す鋭い予言である。
この章句が説くこと
臨済宗曹洞宗家風洗練泥臭さ組織の盛衰
関連する章句
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『驢鞍橋』卷下夜話に曰く、小僧共は先つ法門より教へ度也。法門にて意のすべを知らすること易きなり。実に承当さすることは難し。習ひ事は暫時に成ること也。今時のずりさがり、法門を習はせんよりは、せめてすべなりとも能く知らせ度、只うはかゝのやうに念仏したるもよけれとも、其でも亦人の為めに成りかたし。意のすべをも心得たるが好き也。良有て曰く、乍去意何程移りたりとも、糞袋秘蔵の念は休むべからすと也。
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『驢鞍橋』卷上時に或人云、此比去る処に遁世者有り、誠に彼等も異風に見えたり、乍去理を説く事明なり。師聞て曰、云ひ習へば如何程の事も云ふ物也。今時の仏法者理窟に落ちて、是と思ふ諸人も、是れを貴き事に思つて、此人を貴ぶ也。誠に理窟程用に立たぬ物なし、却て大なる怨と成る物也。我も若き時此に錯りたる事有り、必ず理窟に落ちめさるゝなと也。
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『驢鞍橋』卷上夜話に曰く、古の祖師達にも、修行熟せるは少しと見えたり。大方小見解を是とし、経文語録を以て法語を書き、教化抔して語録等を残されたると思ふ也。なければこそ强く心を修した位を、誰でも書き残したる人なし。皆心安く隙を明けて成らぬと云ふ事を云ひ置きたる人なし。我は末世に残すならば、何とも成らぬ物ぢやと云ふ事を書付けて残すへしと也。
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『驢鞍橋』卷上夜話に曰く、我御意を以て正法を建立せば、諸宗を聚め、人々の云ひ分を書か共名判をさせ、取りて僉議すべし。何と自由に書出す人あらんや。時に一僧曰く、筆にて書き口にて云ふ分は、よく云ふ人もあるべし。師云、いや一言で五臓六腑を知る物也。其上三世仏を証拠にして、互の修行の位を懺悔すべし。大略名利を離れたる程の人もあるべからずと也。
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『驢鞍橋』卷下因に云ふ、大形昔より師一人にして、二代になれば、早や衰ふと見えたり。然ればこそ、仏弟子より此の位有る也。仏経には勇猛精進と多く説き給ふに、その後誰れでも沙汰したる人を聞かす、若し沙汰せば、先つ迦葉のめされんすか早や替りたると見えたり。総而昔も今の如く、善き者出でにくかるべし。替り有るべからず。皆知らずして仏の御出世なる間、誰れをも彼れをも善からんずと計思はるゝ也。時に僧問ふ、普化は仏境界の人と承る、何ぞ度人なきや。師曰く、中中さつさつとしたる活境界にて、度人も何も有る様の機に非ず、是れはよく我知ると也。
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『驢鞍橋』卷上夜話に曰く、我仏法興隆の御政道、御公儀へ訟へ奉り度思へども、未だ天道に不許、先つ先祖先達血の涙を流し、修し行し残し置かれたる処の仏法、御下知なき故に廃れ果り、是れを御捨てなされ、御外護に預からさる事、我等の迷惑是れにすぎす。兎角御下知無くては仏法正理なるべからす。偏に仏法正理なるやうに御下知仰き奉ると、指出□□御訴訟申上度事大願也。