驢鞍橋 / 卷下
去る長老始めは師の法を謗られけるが、此の頃は心を翻し歸依有るに向て曰く、十分に用に取立てめされぬと云ても、惡いと思ひしを善と知ることも、大きなる德也。殊に用にもない腐物を樂みて居ること、究めて愚なること哉と云ふ。道理を聞く計も、假初なから大なること也
新字:去る長老始めは師の法を謗られけるが、此の頃は心を翻し帰依有るに向て曰く、十分に用に取立てめされぬと云ても、悪いと思ひしを善と知ることも、大きなる徳也。殊に用にもない腐物を楽みて居ること、究めて愚なること哉と云ふ。道理を聞く計も、仮初なから大なること也
書き下し
去る長老始めは師の法を謗られけるが、此の頃は心を翻し帰依有るに向て曰く、十分に用に取立てめされぬと云ても、悪いと思ひしを善と知ることも、大きなる徳也。殊に用にもない腐物を楽みて居ること、究めて愚なること哉と云ふ。道理を聞く計も、仮初なから大なること也
現代語訳
ある長老は、始めは師の法をそしっておられたが、近ごろは心を翻して帰依しておられた。その長老に向かって言われた。十分に役に立てられなくても、悪いと思っていたものを善と知ることも、大きな徳である。とりわけ、役にも立たない腐ったものを楽しんでいるのは、きわめて愚かなことだと言う。道理を聞くだけでも、かりそめながら大きなことである。
解説
かつて正三の教えを非難していたが、今は心を改めて帰依した長老に、正三は、まだ十分に実践できなくても、悪いと思っていたものを善いと知ったこと自体が大きな徳だ、と言う。道理を聞くだけでも、かりそめながら大切なことだ、と。考えを改めるのは、自分の過去の判断を否定することであり、勇気が要る。批判から転じた人を責めず、その転換そのものを認めて迎え入れる、懐の深い言葉である。
この章句が説くこと
転向考えを改める帰依寛容徳迎え入れる
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