驢鞍橋 / 卷下
一老兄の曰く、師元より一人なりとも好く成るを悅ひ給へども、畢竟は國王大臣に移し、普く萬民を度せんとの所存たりし也。又相隨ふ者をも指して、一人を親み玉ひ愛見の慈なし。只法界を憐み給ふ機也。殊に衆を我者にし給ふことなし。隨ひ居る小僧共をも、天然と同輩に思ひ給ふ位有り。故に何十年隨ひ居ても、初參の時の如しと也。
新字:一老兄の曰く、師元より一人なりとも好く成るを悦ひ給へども、畢竟は国王大臣に移し、普く万民を度せんとの所存たりし也。又相随ふ者をも指して、一人を親み玉ひ愛見の慈なし。只法界を憐み給ふ機也。殊に衆を我者にし給ふことなし。随ひ居る小僧共をも、天然と同輩に思ひ給ふ位有り。故に何十年随ひ居ても、初参の時の如しと也。
書き下し
一老兄の曰く、師元より一人なりとも好く成るを悅ひ給へども、畢竟は国王大臣に移し、普く万民を度せんとの所存たりし也。又相随ふ者をも指して、一人を親み玉ひ愛見の慈なし。只法界を憐み給ふ機也。殊に衆を我者にし給ふことなし。随ひ居る小僧共をも、天然と同輩に思ひ給ふ位有り。故に何十年随ひ居ても、初参の時の如しと也。
現代語訳
ある先輩が言った。師はもとより、一人でも良くなることを喜ばれたが、つまるところは、国王大臣に移し、あまねく万民を済度しようというお考えであった。また付き従う者についても、一人を特に親しまれるような愛着の慈しみはなく、ただ法界全体を憐れまれる気迫であった。とりわけ衆を自分のものにされることはない。付き従っている小僧たちまでも、自然と同輩に思われる位があった。だから、何十年付き従っていても、初めて参ったときのようである、という。
解説

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