驢鞍橋 / 卷上
一日人來り世間物語を爲し歸る次て示して曰く、人皆一大事を忘れてたわ事計りをつきて、一生空く過す物也。あの樣な者はよせ度もなし。誰も機を抜かし付けたらば、心を取るへし。忘れて守る程無くては、事に合ふて不覺を取るへし。たくみて持つ間では、時々にぬける物也。
新字:一日人来り世間物語を為し帰る次て示して曰く、人皆一大事を忘れてたわ事計りをつきて、一生空く過す物也。あの様な者はよせ度もなし。誰も機を抜かし付けたらば、心を取るへし。忘れて守る程無くては、事に合ふて不覚を取るへし。たくみて持つ間では、時々にぬける物也。
書き下し
一日人来り世間物語を為し帰る次て示して曰く、人皆一大事を忘れてたわ事計りをつきて、一生空く過す物也。あの様な者はよせ度もなし。誰も機を抜かし付けたらば、心を取るへし。忘れて守る程無くては、事に合ふて不覚を取るへし。たくみて持つ間では、時々にぬける物也。
現代語訳
ある日、人が来て世間話をして帰ったついでに示して言われた。人はみな一大事を忘れて、たわごとばかり言って、一生をむなしく過ごすものだ。あのような者は寄せつけたくもない。誰でも気迫を抜かすようになったら、心を取り戻しなさい。守っていることさえ忘れるほどに守れなければ、事に出会ったときに不覚を取るだろう。工夫して保っている程度では、ときどき抜けてしまうものである、と。
解説
世間話に時を費やして一大事を忘れる人への苦言から、守ることの深さに話が進む。意識して工夫しながら保っているうちは、ときどき抜けてしまう。守っていることさえ忘れるほど身についていなければ、いざというときに失敗する、という。技能でも心構えでも、意識的に努力している段階と、無意識にできている段階とでは、非常時の強さがまるで違う。習慣として体に落とし込むことの大切さを説いている。
この章句が説くこと
習慣無意識一大事油断不覚修練
関連する章句
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『驢鞍橋』卷上心弥迷惑し、死出の山の大難堪え難く、正念を失ひ、死後畜生の如くにして冥より冥に落入り、其儘餓鬼畜生に体を受けん事、口惜き事に非すや。扨々恐るべき事也。かほとの大事を持ちながら、是れを忘れてたわ事の娑婆に心を抜かし居る事、大なる油断也。能く能く思ひ知り、此大事を平生引受けて守るべし。必ず一大事を忘れて世間に機を抜かすべからすと也。
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『驢鞍橋』卷上夜話に曰く、初心の者は思ふ処には離れ離れて、心を時々に改め行くが好き也。何としても覚えずそこそこに落ちて居る物と也。
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『驢鞍橋』卷上一日去る僧来り、此比行脚の時、友に別れて俄に懶く成りたりと云ふ。師聞て曰く、仮に別れたるにさへ如是、況んや死して一人空く黄泉の旅に赴き、先も知らぬ闇路を行かん時さぞさぞ苦かるへし。兼て思知るへき事也。又曰く、其様に心変ずる物なる間、少々に気を養はずんは叶ふへからす。强く守り固く修め、何たる事にも苦まず、何ともなき様にすべし。兎角一大事起らで叶はす、大事さへ有らば大事を以て一切を使ふ也。
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『驢鞍橋』卷上一日意の暗き行者を諫めて曰く、其方は先づ言句を錬鍛べて意に徹すへし。彼者云、某一処を守る機有り、熟せば万事に相応すべき間、言句の意を明めて詮なしと存ず。但し無理に强く修すると、意を受くると差別有りや。師曰、中々意暗くしては修行はかどるべからす、先づ其方は専ら意を受習はるべしと也。
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『驢鞍橋』卷上夜話に曰く、世中の人の中に、でかうたらぬ世間下手な者多く有らんずと思ふが、皆大形にして世を渡る事不思議也。是れは偏に若輩より世間を仕馴れたる故なるへし。我も世間の下手な事は、大略一番通りなるべきが、若き時より仕馴れたる故か仏法の事は、誰がをもしやるを聞いても、もどかはしきと也。
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『驢鞍橋』卷上一日示して曰く、人毎に死を忘れて今日角有れば、明日も角有らんと思ふ。亦人人今ではあらじと思ふ物也。究めて聞き事也。左様に思ひ居たる者共皆死失せし也。彼等も時を知るにあらず、各各やうに思ひし者共也。此理を弁へずあだなる身を我身と思ひ、仮の娑婆を我娑婆と思ひ、万才楽と限りなく楽み居る也。如是思懸けなき処に、俄に闇魔の使ふと来り、五臓六腑を責破り、命を責め取る時、眼くらみ耳かすかにして、舌すくみ総身に死苦せまり、苦みの堪えがたきのみならず、命の惜しさ娑婆のなごりの惜しさ云ふ計りなく、前後暗くして何くへ行くと云ふ道やりなく、其時に悔ふるともかひあらんや。