驢鞍橋 / 卷上
夜話に曰く、我佛法興隆の御政道、御公儀へ訟へ奉り度思へども、未だ天道に不許、先つ先祖先達血の涙を流し、修し行し殘し置かれたる處の佛法、御下知なき故に廢れ果り、是れを御捨てなされ、御外護に預からさる事、我等の迷惑是れにすぎす。兎角御下知無くては佛法正理なるべからす。偏に佛法正理なるやうに御下知仰き奉ると、指出□□御訴訟申上度事大願也。
新字:夜話に曰く、我仏法興隆の御政道、御公儀へ訟へ奉り度思へども、未だ天道に不許、先つ先祖先達血の涙を流し、修し行し残し置かれたる処の仏法、御下知なき故に廃れ果り、是れを御捨てなされ、御外護に預からさる事、我等の迷惑是れにすぎす。兎角御下知無くては仏法正理なるべからす。偏に仏法正理なるやうに御下知仰き奉ると、指出□□御訴訟申上度事大願也。
書き下し
夜話に曰く、我仏法興隆の御政道、御公儀へ訟へ奉り度思へども、未だ天道に不許、先つ先祖先達血の涙を流し、修し行し残し置かれたる処の仏法、御下知なき故に廃れ果り、是れを御捨てなされ、御外護に預からさる事、我等の迷惑是れにすぎす。兎角御下知無くては仏法正理なるべからす。偏に仏法正理なるやうに御下知仰き奉ると、指出□□御訴訟申上度事大願也。
現代語訳
夜話で言われた。私は仏法を興隆させる政治を公儀に訴え申し上げたいと思っているが、まだ天の道が許さない。まず先祖や先達が血の涙を流して修行し、残してくださった仏法が、ご命令がないために廃れ果て、これを見捨てられて保護を受けられないことは、私たちにとってこれ以上の困りごとはない。とにかくご命令がなくては、仏法が正しい道理になることはない。ひとえに、仏法が正しい道理になるようにご命令を仰ぎたいと、差し出して□□ご訴訟を申し上げたいことが大願である、と。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
関連する章句
-
史記 高祖本紀三王の道は循環するが若く、終はりて復た始まる。周・秦の間は、文敝すと謂ふべし。秦の政改めず、反つて刑法を酷にす、豈に繆(あやま)りならずや。故に漢興り、敝を承けて変を易(か)へ、人をして倦まざらしむ、天統を得たり。朝するに十月を以てす。車服は黄屋左纛なり。長陵に葬る。
-
史記 滑稽列伝凡そ三弟子を投ず。西門豹曰く、「巫嫗・弟子は是れ女子なり。事を白す能はず。三老を煩はして為に入りて之を白さしめん」と。復た三老を河中に投ず。西門豹、筆を簪にし磬折して、河に向かひて立ちて待つこと良久し。長老・吏の傍観する者皆驚恐す。西門豹顧みて曰く、「巫嫗・三老来たり還らず。之を奈何せん」と。復た廷掾と豪長者一人とをして入りて之を趣さしめんと欲す。皆叩頭し、叩頭して且に破れんとし、額の血地に流れ、色死灰の如し。西門豹曰く、「諾。且く留まりて之を待つこと須臾せん」と。須臾にして、豹曰く、「廷掾起て。状は河伯の客を留むることの久しきがごとし。若(なんぢ)ら皆罷め去りて帰れ」と。鄴の吏民大いに驚恐し、是より以後、敢へて復た河伯の為に婦を娶ると言はず。西門豹即ち民を発して十二渠を鑿ち、河水を引きて民田に灌ぐ。田皆溉(そそ)がる。其の時に当たりて、民、渠を治むること少しく煩苦し、欲せず。豹曰く、「民は与に成るを楽しむ可きも、与に始めを慮る可からず。今、父老子弟我を患苦すと雖も、然れども百歳の後、父老子孫をして我が言を思はしめんことを期す」と。今に至るまで皆水利を得、民人以て給足して富む。十二渠は馳道を経絶す。漢の立つに到り、而して長吏以為へらく、十二渠の橋は馳道を絶ち、相比近して不可なりと。渠水を合はせ、馳道に至るに且(およ)びて三渠を合はせて一橋と為さんと欲す。鄴の民人父老、肯へて長吏に聴かず。以為へらく、西門君の為す所なり、賢君の法式は更む可からずと。長吏終に聴きて之を置く。故に西門豹鄴の令と為り、名は天下に聞こえ、沢は後世に流れ、絶え已む時無し。幾ど賢大夫に非ずと謂ふ可けんや。伝に曰く、「子産鄭を治め、民欺く能はず。子賤単父を治め、民欺くに忍びず。西門豹鄴を治め、民敢へて欺かず」と。三子の才能、誰か最も賢なるや。治を弁ずる者は当に能く之を別つべし。
-
『韓非子』顯學第五十今上耕田墾草を急にして以て民産を厚くするに、而も上を以て酷と爲す。刑を脩め罰を重くして以て邪を禁ずるを爲すに、而も上を以て嚴と爲す。錢粟を徵賦して以て倉庫を實たし、且つ以て飢饉を救ひ、軍旅に備ふるに、而も上を以て貪と爲す。境内必ず介を知りて私解無く、力を并せて疾く闘ふは、虜を禽にする所以なり、而も上を以て暴と爲す。此の四者は、治安する所以なり、而も民悅ぶを知らざるなり。夫れ聖通の士を求むる者は、民の知師用するに足らざるが爲なり。昔禹江を決し河を濬ひて、民瓦石を聚め、子産畝を開き桑を樹ゑて、鄭人謗訾す。禹は天下を利し、子産は鄭人を存す、皆以て謗を受く、夫れ民智の用ふるに足らざること亦明らかなり。
-
『宋名臣言行録』前集巻二・李沆元城、本朝の名相の最も大臣の體を得たる者を論ずるに、惟だ李沆のみ。或ひと曰く、何を以て之を明らかにすと。李丞相毎に人に謂いて曰く、沆政府に在り、以て國家に補報する無し。但だ諸處に人の利害を上る有るも、一切行わざるのみと。此れ大いに失言に似たり。然れども深意有り。且つ祖宗の時、變を經ること多し。故に立つる所の法度、極めて是れ穏便なり。正に老醫の病を㸔ること極めて多し、故に藥を用うるに孟浪に人を殺すに至らざるが如し。且つ其の法度、小害無きにあらず。但だ其の利多きのみ。後人知らず、遂に輕々しく改めんと欲す。此れ其の害の紛紛たる所以なり。李丞相毎に朝謁して事を奏し畢われば、必ず四方の水旱・盗賊・不孝惡逆の事を以て奏聞す。上之が為に色を變じ、慘然として悦ばず。既に退くに、同列以て非と為して丞相に問いて曰く、吾儕路に當たり、幸いに天下事無し。丞相毎に奏するに不美の事を以てして、以て上意に拂う。然れども又た皆な有司の常行にして、必ずしも面奏せざるの事なりと。後に告ぐるも已む。公答えず。數々此くの如し。因りて同列に謂いて曰く、人主一日も豈に憂懼を知らざる可けんや。若し憂懼を知らずんば、則ち至らざる所無からんと。惟だ此の兩事、最も體を得たりと為す。漢の時に在りては、惟だ魏相のみ能く此の兩事を行う。以為えらく、古今制を異にす、方今務めは故事を奉行するに在るのみと。故事の詔書を奏すること凡そ二十三事。掾史に敕して郡國を案事せしめ、及び休告して家より還りて府に至れば、輙ち四方の異聞、或いは逆賊・風雨・災變有りて郡上らざれば、相輙ち之を奏言す。此れ最も宰相の大體を得たり。後の相と為る者は則ち或いは然らず。好んで私智を逞しくし、祖宗の法度を變ずるを喜び、人主を欺蔽し、天下の災異を言うを惡む。法度を變ずるを喜べば則ち綱紀亂れ、災異を言うを惡めば則ち人主驕る。此れ大患なり。
-
『春秋左氏伝』昭公四年 苟も社稷を利せば九月、鄫を取る。易きを言ふなり。莒亂る。著丘公立ちて鄫を撫せず。鄫叛きて來る。故に取ると曰ふ。凡そ邑に克ちて、師徒を用ゐざるを取ると曰ふ。鄭の子產丘賦を作る。國人之を謗りて曰く、「其の父は路に死し、己は蠆尾(たいび)と為りて、以て國に令す。國將に之を若何せん」と。子寬以て告ぐ。子產曰く、「何ぞ害あらん。苟も社稷を利せば、死生之を以てせん。且つ吾聞く、善を為す者は其の度を改めず、故に能く濟すこと有りと。民は逞(ほしいまま)にすべからず、度は改むべからず。詩に曰く、『禮義愆(あやま)たずんば、何ぞ人の言を恤へん』と。吾遷らず」と。渾罕曰く、「國氏其れ先づ亡びんか。君子法を涼(うす)きに作るも、其の敝は猶ほ貪なり。法を貪に作らば、敝將に之を若何せん。姬の列に在る者、蔡及び曹・滕、其れ先づ亡びんか。偪(せま)りて禮無し。鄭は衛に先だちて亡びん。偪りて法無し。政法に率(したが)はずして、心に制す。民各心有り、何の上か之れ有らん」と。冬、吳楚を伐ちて、棘・櫟・麻に入る。以て朱方の役に報ゆるなり。楚の沈尹射夏汭に奔命す。咸尹宜咎鍾離に城き、薳啟疆巢に城き、然丹州來に城く。東國水あり、以て城くべからず。彭生賴の師を罷む。
-
『講孟余話』滕文公上 第三章余をして横渠の時に生れしめば、必ず此の事を成さん者をと思へども、幽明道遥かにして詮方なし。況や今囹圄の囚となり、志ありと云へども遂ぐべき様なし。徒に横渠の説を読みて感涙胸を沽すのみ。但し横渠の説は田を画し井となすか最も用意の所と見えたり。仁政は経界より始まるとあれば、此の事固より要務にはあるべけれど、是れは法制に係りたることにて、万一人情に合し土俗に宜からぬことあれば、大いに民間を擾乱するに至る。故に夫れよりは此の一節に云ふ所の実を主として行ひ度きことなり。