驢鞍橋 / 卷上
夜話に曰く、我佛法興隆の御政道、御公儀へ訟へ奉り度思へども、未だ天道に不許、先つ先祖先達血の涙を流し、修し行し殘し置かれたる處の佛法、御下知なき故に廢れ果り、是れを御捨てなされ、御外護に預からさる事、我等の迷惑是れにすぎす。兎角御下知無くては佛法正理なるべからす。偏に佛法正理なるやうに御下知仰き奉ると、指出□□御訴訟申上度事大願也。
新字:夜話に曰く、我仏法興隆の御政道、御公儀へ訟へ奉り度思へども、未だ天道に不許、先つ先祖先達血の涙を流し、修し行し残し置かれたる処の仏法、御下知なき故に廃れ果り、是れを御捨てなされ、御外護に預からさる事、我等の迷惑是れにすぎす。兎角御下知無くては仏法正理なるべからす。偏に仏法正理なるやうに御下知仰き奉ると、指出□□御訴訟申上度事大願也。
書き下し
夜話に曰く、我仏法興隆の御政道、御公儀へ訟へ奉り度思へども、未だ天道に不許、先つ先祖先達血の涙を流し、修し行し残し置かれたる処の仏法、御下知なき故に廃れ果り、是れを御捨てなされ、御外護に預からさる事、我等の迷惑是れにすぎす。兎角御下知無くては仏法正理なるべからす。偏に仏法正理なるやうに御下知仰き奉ると、指出□□御訴訟申上度事大願也。
現代語訳
夜話で言われた。私は仏法を興隆させる政治を公儀に訴え申し上げたいと思っているが、まだ天の道が許さない。まず先祖や先達が血の涙を流して修行し、残してくださった仏法が、ご命令がないために廃れ果て、これを見捨てられて保護を受けられないことは、私たちにとってこれ以上の困りごとはない。とにかくご命令がなくては、仏法が正しい道理になることはない。ひとえに、仏法が正しい道理になるようにご命令を仰ぎたいと、差し出して□□ご訴訟を申し上げたいことが大願である、と。
解説
正三は生涯、幕府に働きかけて仏教界を正すことを願い続けた。僧侶が自ら堕落を正せない以上、公儀の命令によって筋を通すしかない、という考えである。政治に頼る発想は、今日の目で見れば危うさもある。だが、組織の内部だけでは腐敗を正せないとき、外部の権威や規律を入れる必要があるという認識自体は、企業統治にも通じる。宗教者でありながら、制度の力を正面から考えた点に正三の特異さがある。
この章句が説くこと
公儀改革仏教界統治外部規律念願
関連する章句
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『宋名臣言行録』前集巻二・李沆元城、本朝の名相の最も大臣の體を得たる者を論ずるに、惟だ李沆のみ。或ひと曰く、何を以て之を明らかにすと。李丞相毎に人に謂いて曰く、沆政府に在り、以て國家に補報する無し。但だ諸處に人の利害を上る有るも、一切行わざるのみと。此れ大いに失言に似たり。然れども深意有り。且つ祖宗の時、變を經ること多し。故に立つる所の法度、極めて是れ穏便なり。正に老醫の病を㸔ること極めて多し、故に藥を用うるに孟浪に人を殺すに至らざるが如し。且つ其の法度、小害無きにあらず。但だ其の利多きのみ。後人知らず、遂に輕々しく改めんと欲す。此れ其の害の紛紛たる所以なり。李丞相毎に朝謁して事を奏し畢われば、必ず四方の水旱・盗賊・不孝惡逆の事を以て奏聞す。上之が為に色を變じ、慘然として悦ばず。既に退くに、同列以て非と為して丞相に問いて曰く、吾儕路に當たり、幸いに天下事無し。丞相毎に奏するに不美の事を以てして、以て上意に拂う。然れども又た皆な有司の常行にして、必ずしも面奏せざるの事なりと。後に告ぐるも已む。公答えず。數々此くの如し。因りて同列に謂いて曰く、人主一日も豈に憂懼を知らざる可けんや。若し憂懼を知らずんば、則ち至らざる所無からんと。惟だ此の兩事、最も體を得たりと為す。漢の時に在りては、惟だ魏相のみ能く此の兩事を行う。以為えらく、古今制を異にす、方今務めは故事を奉行するに在るのみと。故事の詔書を奏すること凡そ二十三事。掾史に敕して郡國を案事せしめ、及び休告して家より還りて府に至れば、輙ち四方の異聞、或いは逆賊・風雨・災變有りて郡上らざれば、相輙ち之を奏言す。此れ最も宰相の大體を得たり。後の相と為る者は則ち或いは然らず。好んで私智を逞しくし、祖宗の法度を變ずるを喜び、人主を欺蔽し、天下の災異を言うを惡む。法度を變ずるを喜べば則ち綱紀亂れ、災異を言うを惡めば則ち人主驕る。此れ大患なり。
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