驢鞍橋 / 卷上
師一日去る處に到る。彼家に二人の息女有り、一人は十日先に氣違に成り、亦一人も三日先に死したりとて、其母狂人の如くに成り、悲み居けるに、師敎化有りて歸り給ふが、道にてひしと行留り、愕然として曰く、扨も扨も不便千萬なる事哉、我と造り病をなし苦しむ物也。生に付け、死に付け、子に苦しむ有樣痛敷事也。出家は是れ計りも佛祖の御恩德忝き事也。
新字:師一日去る処に到る。彼家に二人の息女有り、一人は十日先に気違に成り、亦一人も三日先に死したりとて、其母狂人の如くに成り、悲み居けるに、師教化有りて帰り給ふが、道にてひしと行留り、愕然として曰く、扨も扨も不便千万なる事哉、我と造り病をなし苦しむ物也。生に付け、死に付け、子に苦しむ有様痛敷事也。出家は是れ計りも仏祖の御恩徳忝き事也。
書き下し
師一日去る処に到る。彼家に二人の息女有り、一人は十日先に気違に成り、亦一人も三日先に死したりとて、其母狂人の如くに成り、悲み居けるに、師教化有りて帰り給ふが、道にてひしと行留り、愕然として曰く、扨も扨も不便千万なる事哉、我と造り病をなし苦しむ物也。生に付け、死に付け、子に苦しむ有様痛敷事也。出家は是れ計りも仏祖の御恩徳忝き事也。
現代語訳
師がある日、ある所に行かれた。その家には二人の娘がいたが、一人は十日前に気が違ってしまい、もう一人も三日前に死んだというので、その母は狂人のようになって悲しんでいた。師は教化をして帰られたが、道でぴたりと立ち止まり、はっとして言われた。なんとも気の毒千万なことだ。自分で病を造って苦しむものである。生につけ、死につけ、子に苦しむありさまは痛ましいことだ。出家はこれだけでも、仏祖のご恩徳がかたじけないことである、と。
解説
娘の一人が正気を失い、もう一人を亡くして取り乱す母を見舞った帰り道、正三は立ち止まって嘆く。人は子への愛着によって、自ら苦しみを造ってしまう。出家はそれから離れていられるだけでも、仏祖の恩がありがたい、と。冷たく聞こえるかもしれないが、正三は母の苦しみを深く痛ましく感じている。愛するものがあるほど苦しみも深いという人間の現実を、突き放さずに見つめた短い条である。
この章句が説くこと
愛着苦しみ子悲嘆出家憐れみ
関連する章句
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『驢鞍橋』卷下師一日、去る処に至り給ふ時に、その家の老母七十に及ふ人有り、後世の用心を問ふ。示めして曰く、も早や先きも無き程に、習ふこともなく云ふこともないず、今死ぬ□、物言ふな物言ふなと用ゆべきと也。又其後彼に至り給ふに、老尼の曰く、此の頃、痢病を煩ひ、死に相究まりしが、もはや今程は快くなり候也。御影にて体は煩へとも、心は煩はすと云ふことを存したりと語る也。師還り衆に前事を語て曰く、真実深き様に用ゆる人は多きか、是れは流か違ふた常住死て居る也。
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『驢鞍橋』卷上一日去る処へ至り玉ふに、其家の代官知行処へ往くとて、途中にて少し煩ひ死しける由申来る。師聞き愕然として曰く、扨々不便千万の事哉、我をも娑婆をも実に有ると思ひ居て俄に死す。苦み計り難し、嘆痛敷事也。爰を以て思へは少し志有りて、今か今かと片腰懸けたる様にも思ひ居る者は、亦大なる徳也。其日さまざまの事有り、晩に至りて曰く、一日徒に飮食したり、闇魔王に腹を打破られんすよと也。
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『驢鞍橋』卷上一日聚会の次で、一僧去る病体の和尚に向つて云く、悪病抔出でざる様になさるべし。若し悪病出でば、大に人の為めに怨と成るべし。師聞て曰く、扨も詮なき事を云ふ人かな、如何なる病をか受け、如何なる死をかせん。我人知られてこそ因果次第也。従今分別するとも争かあたらんや。唯今修する処にこそ詮議はあれ、後はひつてひり破つても、死にめされよ。只死しても奇麗にもをりないぞ、野に成りとも山に成りとも只捨てめされよと也。
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『驢鞍橋』卷下師一日、去る処に至り物語の次に曰く、人間の一生涯ほど詮なき物なし。如何なる病をか受け、如何なる死をか為し、まだ此の身に如何なる業か有らんす。扨て扨て大義の物哉也と。時に其処の内儀これを聞て、ひしと受けられたり。常々病者なるか、扨ても因果の業体を受け来ること哉。我身また如何なる業か有らんと思ふより、心切に成り、是非是非業を尽くさんと云つて、咒をくり経をよみ、身を扣きつねり、肉のつぐろ死するほどして、念仏経咒を以てひたせめに責められたり。十日ほど如是して、一晩、持仏堂にて罪業を懺悔し居られけれは、ふと死苦に責められ、その機抜けす、真実起る也。又業体を使ひ殺さんと云て人を使はす、我身を使ひ、扨てもいやな御上様やと云て、内の者どもと一つに働き、工夫一偏に勤むる人有り。去る程に頓て病も抜け、女気なく男の様にそ見えたり。師是れを真実の修行者とし給ふ也。
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『驢鞍橋』卷下去る暁、衆中に向て曰く、扨てもたわけたこと哉、何の変も無い物を楽むこと也。立つも苦、居るも苦、熱も苦、寒も苦、痛も苦、痒も苦、病苦死苦有り、扨て又随ふを愛し、背くを怨み、扨て扨ていやな苦体哉。平生此の道理計を考へたるか能き也。誠に此の腐物に付で一として楽むべきこと無きか、何としても秘蔵にて居る也。
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『驢鞍橋』卷下一日、去る老婆、若き女人五三人を相連立来て、後世の用心を問ふ。師示して曰く、我後世の願ひ様と云ふは、此の糞袋を秘蔵する念を申し消すべしと大願を立て、日夜强く念仏する計り也。時に一女曰く、左様に勤め候へば、何の徳有りや。師曰く、如是勤めては苦を離る也。総而後世を願ふと云ふは、死して後のことに非す、現に今苦を離れて大安楽に至ること也。然るにその苦は何より起ると思ふや。只此の身をかわゆかる念より起る也。此の身さへ無くんば、何か苦なるべき。故に此の身に離れたるを成仏とす。