驢鞍橋 / 卷下
一日、去る僧、師の腰をひねる。師呵して曰く、我邊に居る者か、左樣に機を拔かす筈では無いが扨て扨て用に立たぬやつ哉。機を抜かして作す時は、我覺えありと也。
新字:一日、去る僧、師の腰をひねる。師呵して曰く、我辺に居る者か、左様に機を抜かす筈では無いが扨て扨て用に立たぬやつ哉。機を抜かして作す時は、我覚えありと也。
書き下し
一日、去る僧、師の腰をひねる。師呵して曰く、我辺に居る者か、左様に機を抜かす筈では無いが扨て扨て用に立たぬやつ哉。機を抜かして作す時は、我覚えありと也。
現代語訳
ある日、ある僧が師の腰を揉んだ。師は叱って言われた。私の傍にいる者が、そのように気迫を抜かしてよいはずではないが、さてさて役に立たないやつだな。気迫を抜かしてするときは、私には分かるのだ、と。
解説
腰を揉んでくれた弟子を、正三は、気を抜いてやっているな、自分の傍にいる者がそれでは役に立たない、と叱る。気を抜いてやっているかどうかは、触れられれば分かる、と。腰を揉むというささいな奉仕にも、心を込めているかどうかが手に表れる。どんな小さな仕事でも、気持ちが入っているかどうかは相手に伝わる、という教えを、身体を通して示した場面である。
この章句が説くこと
気迫奉仕小さな仕事心を込める叱責伝わる
関連する章句
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老子・第8章上善は水の若し。水は善く万物を利して争わず、衆人の悪む所に処る。故に道に幾し。居は地を善しとし、心は淵を善しとし、与は仁を善しとし、言は信を善しとし、正は治を善しとし、事は能を善しとし、動は時を善しとす。夫れ唯だ争わず、故に尤め無し。
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呂氏春秋・尊師④生くれば則ち養を謹む。養を謹しむの道、心を養うことを貴しと為す。死すれば則ち祭りを敬む。祭りを敬するの術は、時節に務めを為す。此れ師を尊ぶ所以なり。唐圃を治め、灌寖を疾め、種樹を務む。葩屨を織り、罝網を結び、蒲葦を捆つ。田野に之き、耕耘に力め、五穀を事む。山林に如き、川澤に入り、魚鱉を取り、鳥獸を求む。此れ師を尊ぶ所以なり。輿馬を視、駕御を慎み、衣服を適にし、輕煗を務め、飲食に臨めば、必ず蠲絜にして、調和を善くし、甘肥を務め、必ず恭敬にして、顏色を和らぐ。辭令を審らかにし、趨翔に疾め、必ず嚴肅にす。此れ師を尊ぶ所以なり。
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孟子・盡心章句下孟子曰く、「民を貴しと為し、社稷之に次ぎ、君を輕しと為す。是の故に丘民に得られて天子と為り、天子に得られて諸侯と為り、諸侯に得られて大夫と為る。諸侯、社稷を危うくすれば、則ち變置す。犧牲既に成り、粢盛既に潔く、祭祀時を以てす。然り而して旱乾水溢あれば、則ち社稷を變置す。」
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『驢鞍橋』卷上一日人来て曰く、去る大名の奥方、我むさき事をなして、人にさらえさする事恐れ也と云ふて、雪隠をさらゆる者に銭をくれ給ふと云ふ。師聞て曰く、扨々有難人哉、尤もの事也。我も衆聚りたらは片廻りにさらえさすべし。後世を願ふ者はさなき事にさへ人を使ふは悪き也。是れは好き事を聞きたり。
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『驢鞍橋』卷下去る時、僧俗の修行者思の外心得悪しと発憤有る折節、去る僧来る。師見て曰く、出入の人人大方にも心得たるかと云ひければ、一人もなし。殊に坊主の生けた振見度なし。あらいやの御坊主達や。早々帰りめされよと云つて、急に逐ひ帰し給ふ也。
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