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驢鞍橋 / 卷下

一日、去る僧、師の腰をひねる。師呵して曰く、我邊に居る者か、左樣に機を拔かす筈では無いが扨て扨て用に立たぬやつ哉。機を抜かして作す時は、我覺えありと也。

新字:一日、去る僧、師の腰をひねる。師呵して曰く、我辺に居る者か、左様に機を抜かす筈では無いが扨て扨て用に立たぬやつ哉。機を抜かして作す時は、我覚えありと也。

書き下し

一日、去る僧、師の腰をひねる。師呵して曰く、我辺に居る者か、左様に機を抜かす筈では無いが扨て扨て用に立たぬやつ哉。機を抜かして作す時は、我覚えありと也。

現代語訳

ある日、ある僧が師の腰を揉んだ。師は叱って言われた。私の傍にいる者が、そのように気迫を抜かしてよいはずではないが、さてさて役に立たないやつだな。気迫を抜かしてするときは、私には分かるのだ、と。

解説

腰を揉んでくれた弟子を、正三は、気を抜いてやっているな、自分の傍にいる者がそれでは役に立たない、と叱る。気を抜いてやっているかどうかは、触れられれば分かる、と。腰を揉むというささいな奉仕にも、心を込めているかどうかが手に表れる。どんな小さな仕事でも、気持ちが入っているかどうかは相手に伝わる、という教えを、身体を通して示した場面である。

この章句が説くこと

気迫奉仕小さな仕事心を込める叱責伝わる

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