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驢鞍橋 / 卷上

壬辰霜月十一日の晩、去る寺に到る次で、大衆に對して曰く、當寺の大衆一樣に志出來、目出度事也。次第に大事も起るべし。兎角此中から起るべし。是れ佛法繁昌の基也。則ち示曰、佛法の至極したる處を大義と云ふ也。義無くして修行成るべからす。今人間に生を得、殊に佛弟子と爲りながら、餓鬼畜生の心にて居る事無念なりと思ひ定め、血の淚を流し、跳り上つて佛意を修せで不叶と、自ら眼をすゑ拳を握り、咦と牙を咬み給ふ。

新字:壬辰霜月十一日の晩、去る寺に到る次で、大衆に対して曰く、当寺の大衆一様に志出来、目出度事也。次第に大事も起るべし。兎角此中から起るべし。是れ仏法繁昌の基也。則ち示曰、仏法の至極したる処を大義と云ふ也。義無くして修行成るべからす。今人間に生を得、殊に仏弟子と為りながら、餓鬼畜生の心にて居る事無念なりと思ひ定め、血の涙を流し、跳り上つて仏意を修せで不叶と、自ら眼をすゑ拳を握り、咦と牙を咬み給ふ。

書き下し

壬辰霜月十一日の晩、去る寺に到る次で、大衆に対して曰く、当寺の大衆一様に志出来、目出度事也。次第に大事も起るべし。兎角此中から起るべし。是れ仏法繁昌の基也。則ち示曰、仏法の至極したる処を大義と云ふ也。義無くして修行成るべからす。今人間に生を得、殊に仏弟子と為りながら、餓鬼畜生の心にて居る事無念なりと思ひ定め、血の涙を流し、跳り上つて仏意を修せで不叶と、自ら眼をすゑ拳を握り、咦と牙を咬み給ふ。

現代語訳

壬辰の年十一月十一日の晩、ある寺に行かれたついでに、大衆に向かって言われた。この寺の大衆は一様に志ができて、めでたいことである。次第に大事も起こるだろう。とにかく、この中から起こるだろう。これが仏法繁昌の基である。そして示して言われた。仏法の極まったところを大義という。義がなくては修行は成らない。今、人間に生まれ、とりわけ仏弟子となりながら、餓鬼畜生の心でいることは無念だと思い定めて、血の涙を流し、跳ね上がって仏の意を修めなければならない、と自ら目を据え、拳を握り、咦と牙を噛みしめられた。

解説

志の芽生えた寺の僧たちを喜び、そこから仏法が栄えると語った後、正三は、仏法の極みを大義と呼ぶ。義、つまり道理に沿って筋を通す心がなければ修行は成らない、と。人として生まれ、仏弟子となりながら、欲や怠けの心にとどまるのは無念だと思い定め、血の涙を流して跳ね上がれ、と自ら目を据え歯を食いしばって語る。志を持った集団に、さらに火をつける指導者の気迫が伝わる場面である。

この章句が説くこと

大義仏法繁昌気迫血の涙指導

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