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驢鞍橋 / 卷上

壬辰十月六日、夜話に曰く、ふくわん者はぶんまけて娑婆に苦む事少し、是れ法器也。了庵和尙も法は關東らつはに移るべしと云ひ給ふと聞く。是れ好き見樣也。乍去ふくわん計りにてしつかとしたる機一つ無くては、修行成りかたし。其故は娑婆の麁草な程、修行も麁草にうかつき回つて、落着いて修する事無し。時に去る者云、誠に某長老のやうに麁草なる人は、修行成りがたかるべし。師曰く、中々ぶんまけの笑敷人也。取留る事の成る性に非ず。あれは何をも彼をも打捨て打捨てめされよと、捨修行に敎へたるがよき也。

新字:壬辰十月六日、夜話に曰く、ふくわん者はぶんまけて娑婆に苦む事少し、是れ法器也。了庵和尚も法は関東らつはに移るべしと云ひ給ふと聞く。是れ好き見様也。乍去ふくわん計りにてしつかとしたる機一つ無くては、修行成りかたし。其故は娑婆の麁草な程、修行も麁草にうかつき回つて、落着いて修する事無し。時に去る者云、誠に某長老のやうに麁草なる人は、修行成りがたかるべし。師曰く、中々ぶんまけの笑敷人也。取留る事の成る性に非ず。あれは何をも彼をも打捨て打捨てめされよと、捨修行に教へたるがよき也。

書き下し

壬辰十月六日、夜話に曰く、ふくわん者はぶんまけて娑婆に苦む事少し、是れ法器也。了庵和尚も法は関東らつはに移るべしと云ひ給ふと聞く。是れ好き見様也。乍去ふくわん計りにてしつかとしたる機一つ無くては、修行成りかたし。其故は娑婆の麁草な程、修行も麁草にうかつき回つて、落着いて修する事無し。時に去る者云、誠に某長老のやうに麁草なる人は、修行成りがたかるべし。師曰く、中々ぶんまけの笑敷人也。取留る事の成る性に非ず。あれは何をも彼をも打捨て打捨てめされよと、捨修行に教へたるがよき也。

現代語訳

壬辰の年十月六日の夜話で言われた。ふくわん者(大ざっぱで放り出す性分の者)は、何でもぶちまけて、娑婆に苦しむことが少ない。これは法の器である。了庵和尚も、法は関東のらっぱに移るだろう、と言われたと聞く。これは良い見方である。とはいえ、ふくわんだけで、しっかりした気迫一つがなくては、修行は成りがたい。そのわけは、娑婆で粗雑なほど、修行も粗雑に浮ついて回り、落ち着いて修めることがないからだ。そのとき、ある者が言った。本当に、某長老のように粗雑な人は、修行は成りがたいでしょう。師は言われた。なかなか、ぶちまけてしまう笑える人だ。取り留めることのできる性分ではない。あの人には、何も彼も打ち捨て打ち捨てなさい、と、捨てる修行を教えるのがよいのである、と。

解説

物事に執着せず、何でもさっぱり放り出す性分の人は、世間に苦しむことが少なく、仏法の器だ、と正三は認める。一方で、しっかりした心の張りがなければ、修行も粗雑になると注意する。そして、粗雑な長老には、その性分を生かして、すべてを捨てる修行を教えよ、と言う。性格を欠点として矯正するのではなく、その性分に合った修行を選ぶ。一人ひとりの気質を生かす人材育成の知恵である。この条の途中は、底本の頭注が本文に割り込んでいたので取り除いて読んだ。

この章句が説くこと

性分気質人材育成了庵捨てる修行法器

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