驢鞍橋 / 卷上
次日諸人に對して曰く、何と今度の病者、忽ち直る事、佛法の手柄ではをりないか。扨々佛法の功德は有難き事也。然れども何れもを始め皆疎かに思ひ居らるゝ也。先づ能く道理を責めて見よ。今度の病人抔を咒力の外、扨何を以て直さんや。儒道抔にても隙を取らば、直すすべもあらんずが、大略あるべからす。然るに少しの間に大病忽ち直る事、佛經の功德何に比べんや。扨々大切の事哉と也。
新字:次日諸人に対して曰く、何と今度の病者、忽ち直る事、仏法の手柄ではをりないか。扨々仏法の功徳は有難き事也。然れども何れもを始め皆疎かに思ひ居らるゝ也。先づ能く道理を責めて見よ。今度の病人抔を咒力の外、扨何を以て直さんや。儒道抔にても隙を取らば、直すすべもあらんずが、大略あるべからす。然るに少しの間に大病忽ち直る事、仏経の功徳何に比べんや。扨々大切の事哉と也。
書き下し
次日諸人に対して曰く、何と今度の病者、忽ち直る事、仏法の手柄ではをりないか。扨々仏法の功徳は有難き事也。然れども何れもを始め皆疎かに思ひ居らるゝ也。先づ能く道理を責めて見よ。今度の病人抔を咒力の外、扨何を以て直さんや。儒道抔にても隙を取らば、直すすべもあらんずが、大略あるべからす。然るに少しの間に大病忽ち直る事、仏経の功徳何に比べんや。扨々大切の事哉と也。
現代語訳
次の日、人々に向かって言われた。どうだ、今度の病人がたちまち治ったことは、仏法の手柄ではないか。なんとも仏法の功徳はありがたいことだ。けれども、誰もかれもみな、おろそかに思っているのである。まずよく道理を責めて考えてみよ。今度の病人などを、呪文の力のほかに、さて何によって治そうか。儒道などでも、時間をかければ治す方法もあるだろうが、たいていはないだろう。ところが、わずかの間に大病がたちまち治ったことは、仏典の功徳を何に比べようか。なんとも大切なことだ、と。
解説

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