驢鞍橋 / 卷上
良有りて曰、彼樣の者を弔ふ事も機轉なくして不叶、我は聞くと早弔ひ樣出づる也。先づ天德院へ引導を賴み、死人に成して弔ひ、其後我請取り、身に經文陀羅尼を書き、塔婆と成して弔ふへし。塔婆と成りたらば虫も責むべからす、二七日も三七日も如是して弔ひたらば、必ず治すへき也。弔ひも醫者の藥の如し。なま作なればきかぬ也。治せぬ間は、經咒を以て誦み殺す迄も吊ふべし。是れを直さずんは佛法にひけを付ける也。肉身不調の病は藥を以て治す。加樣の業に責めらるゝ者は、縱ひ火を吐き角を振り來るとも、手も無く吊ひ直すべしと也。
新字:良有りて曰、彼様の者を弔ふ事も機転なくして不叶、我は聞くと早弔ひ様出づる也。先づ天徳院へ引導を頼み、死人に成して弔ひ、其後我請取り、身に経文陀羅尼を書き、塔婆と成して弔ふへし。塔婆と成りたらば虫も責むべからす、二七日も三七日も如是して弔ひたらば、必ず治すへき也。弔ひも医者の薬の如し。なま作なればきかぬ也。治せぬ間は、経咒を以て誦み殺す迄も吊ふべし。是れを直さずんは仏法にひけを付ける也。肉身不調の病は薬を以て治す。加様の業に責めらるゝ者は、縦ひ火を吐き角を振り来るとも、手も無く吊ひ直すべしと也。
書き下し
良有りて曰、彼様の者を弔ふ事も機転なくして不叶、我は聞くと早弔ひ様出づる也。先づ天徳院へ引導を頼み、死人に成して弔ひ、其後我請取り、身に経文陀羅尼を書き、塔婆と成して弔ふへし。塔婆と成りたらば虫も責むべからす、二七日も三七日も如是して弔ひたらば、必ず治すへき也。弔ひも医者の薬の如し。なま作なればきかぬ也。治せぬ間は、経咒を以て誦み殺す迄も吊ふべし。是れを直さずんは仏法にひけを付ける也。肉身不調の病は薬を以て治す。加様の業に責めらるゝ者は、縦ひ火を吐き角を振り来るとも、手も無く吊ひ直すべしと也。
現代語訳
しばらくして言われた。あのような者を弔うことも、機転がなくてはかなわない。私は聞くとすぐに弔い方が出てくる。まず天徳院へ引導を頼み、死人にして弔い、その後私が引き受けて、体に経文や陀羅尼を書き、塔婆にして弔おう。塔婆になったら、虫も責めることはできないだろう。十四日も二十一日もこのようにして弔えば、必ず治るはずである。弔いも医者の薬のようなものだ。生半可にすれば効かない。治らないうちは、経や呪文で読み殺すまでも弔うべきである。これを直さなければ、仏法に引け目を付けることになる。体の不調の病は薬で治す。このような業に責められる者は、たとえ火を吐き角を振って来ても、わけもなく弔い直すべきである、と。
解説

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