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驢鞍橋 / 卷下

夜話に曰く、何と勤めても、無我に成れぬ物也。何れも修して見て、合點せらるべし。爰に一つ取代物有るを以て、我は少し無我に成りたると覺ゆ。只人を能くしたい能くしたいと强く思ふ計にて、我を忘れたりと也。

新字:夜話に曰く、何と勤めても、無我に成れぬ物也。何れも修して見て、合点せらるべし。爰に一つ取代物有るを以て、我は少し無我に成りたると覚ゆ。只人を能くしたい能くしたいと强く思ふ計にて、我を忘れたりと也。

書き下し

夜話に曰く、何と勤めても、無我に成れぬ物也。何れも修して見て、合点せらるべし。爰に一つ取代物有るを以て、我は少し無我に成りたると覚ゆ。只人を能くしたい能くしたいと强く思ふ計にて、我を忘れたりと也。

現代語訳

夜話で言われた。どう勤めても、無我にはなれないものである。誰でも修めてみて、合点されるがよい。ここに一つ取り替え物があるから、私は少し無我になったと感じる。ただ、人を良くしたい、良くしたい、と強く思うばかりで、自分を忘れたのである、と。

解説

どれほど修行しても無我にはなれない、と正三は率直に言う。それでも自分が少し無我に近づけたのは、ただ人を良くしたい、良くしたいと強く思うことで、自分のことを忘れていたからだ、と。自我を消そうと努力しても消えないが、他者のために心を尽くすうちに、いつの間にか自分を忘れている。自分を捨てる近道は、自分と格闘することではなく、人のために打ち込むことだという、深く温かい実感の言葉である。

この章句が説くこと

無我利他自分を忘れる人のため晩年実感

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