驢鞍橋 / 卷下
夜話に曰く、何某あまり坐禪の機をえ受けぬに仍て、機を移さん爲め、兩の手頸をむずと握り、膝元に引寄せ、きつと坐禪しければ、張合なくするすると引入るやうに躰もなく覺えたり。扨ても見懸に違て機のへりたる者哉。中々心は打腐りたるやうに思はれたり。あれては頓て病んずよ、不便のこと也。因に曰く、始てこの位を知る也、今迄終に鍛鍊せず、是は能きことを知る也。此の後は如是して、人の機の位を知るべし。又坐禪の機を如是してなりとも授けて見んずと也。彼者頓て大に病ひけり。
新字:夜話に曰く、何某あまり坐禅の機をえ受けぬに仍て、機を移さん為め、両の手頸をむずと握り、膝元に引寄せ、きつと坐禅しければ、張合なくするすると引入るやうに体もなく覚えたり。扨ても見懸に違て機のへりたる者哉。中々心は打腐りたるやうに思はれたり。あれては頓て病んずよ、不便のこと也。因に曰く、始てこの位を知る也、今迄終に鍛錬せず、是は能きことを知る也。此の後は如是して、人の機の位を知るべし。又坐禅の機を如是してなりとも授けて見んずと也。彼者頓て大に病ひけり。
書き下し
夜話に曰く、何某あまり坐禅の機をえ受けぬに仍て、機を移さん為め、両の手頸をむずと握り、膝元に引寄せ、きつと坐禅しければ、張合なくするすると引入るやうに体もなく覚えたり。扨ても見懸に違て機のへりたる者哉。中々心は打腐りたるやうに思はれたり。あれては頓て病んずよ、不便のこと也。因に曰く、始てこの位を知る也、今迄終に鍛錬せず、是は能きことを知る也。此の後は如是して、人の機の位を知るべし。又坐禅の機を如是してなりとも授けて見んずと也。彼者頓て大に病ひけり。
現代語訳
夜話で言われた。某があまりにも坐禅の気迫を受けられないので、気迫を移そうとして、両手首をむんずと握り、膝元に引き寄せて、きっと坐禅をしたところ、張り合いがなく、するすると引き込まれるように、体がないように感じられた。さても見かけと違って、気迫の減った者だな。まったく心は腐り果てたように思われた。あれではやがて病むだろうよ、気の毒なことだ。ついでに言われた。初めてこの位を知った。今までついに鍛錬したことはなかったが、これは良いことを知った。今後はこのようにして人の気迫の位を知ろう。また坐禅の気迫を、このようにしてでも授けてみよう、と。その者はやがて大いに病んだ。
解説
この章句が説くこと
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