驢鞍橋 / 卷上
夜話の次で一僧曰く、此前玄俊坊、一心頂禮と舍利禮を始め給へば、一者感淚を流す計りに殊勝にありけり。師聞て曰く、扨もでかい實哉と也。又彼僧曰、二百五十戒を持ち、殊勝第一の人なりけるが、死期殊の外惡かりしと云ふ。師又曰、律僧は咎多からんず物也。威儀を佛のやうに持つ故に、佛のやうに人思ふ也。心は佛に非ずして人に佛と貴ばるゝ事大なる咎也。必ず死期惡かるべき事なり。因に語て曰く、我親類の僧鈴庵惡い性にて、手より荷の糸抔出し樣々神通あり。諸人是れを尊ふ事無限。我憐んて種々異見すれども、是れを不捨。其時我大に憤り、汝か性は出家して忽ち狐に成る性也。從前の甥を我ありながら、目の前に狐に成す事有らんや。若し還俗せすんば扣き殺すべしと云ふて、無理に醫者に成したり。御坊主達用心して人に尊ばれめさるゝなと也。
新字:夜話の次で一僧曰く、此前玄俊坊、一心頂礼と舎利礼を始め給へば、一者感涙を流す計りに殊勝にありけり。師聞て曰く、扨もでかい実哉と也。又彼僧曰、二百五十戒を持ち、殊勝第一の人なりけるが、死期殊の外悪かりしと云ふ。師又曰、律僧は咎多からんず物也。威儀を仏のやうに持つ故に、仏のやうに人思ふ也。心は仏に非ずして人に仏と貴ばるゝ事大なる咎也。必ず死期悪かるべき事なり。因に語て曰く、我親類の僧鈴庵悪い性にて、手より荷の糸抔出し様々神通あり。諸人是れを尊ふ事無限。我憐んて種々異見すれども、是れを不捨。其時我大に憤り、汝か性は出家して忽ち狐に成る性也。従前の甥を我ありながら、目の前に狐に成す事有らんや。若し還俗せすんば扣き殺すべしと云ふて、無理に医者に成したり。御坊主達用心して人に尊ばれめさるゝなと也。
書き下し
夜話の次で一僧曰く、此前玄俊坊、一心頂礼と舎利礼を始め給へば、一者感涙を流す計りに殊勝にありけり。師聞て曰く、扨もでかい実哉と也。又彼僧曰、二百五十戒を持ち、殊勝第一の人なりけるが、死期殊の外悪かりしと云ふ。師又曰、律僧は咎多からんず物也。威儀を仏のやうに持つ故に、仏のやうに人思ふ也。心は仏に非ずして人に仏と貴ばるゝ事大なる咎也。必ず死期悪かるべき事なり。因に語て曰く、我親類の僧鈴庵悪い性にて、手より荷の糸抔出し様々神通あり。諸人是れを尊ふ事無限。我憐んて種々異見すれども、是れを不捨。其時我大に憤り、汝か性は出家して忽ち狐に成る性也。従前の甥を我ありながら、目の前に狐に成す事有らんや。若し還俗せすんば扣き殺すべしと云ふて、無理に医者に成したり。御坊主達用心して人に尊ばれめさるゝなと也。
現代語訳
夜話のついでに、一人の僧が言った。以前、玄俊坊が一心頂礼と舎利礼文を始められると、ある者は感涙を流すばかりに殊勝でした。師は聞いて言われた。なんとも大した誠だな、と。また、その僧が言った。二百五十戒を持ち、殊勝第一の人でしたが、臨終がことのほか悪かったそうです。師はまた言われた。律僧は咎が多いものだろう。威儀を仏のように保つから、人は仏のように思う。心は仏ではないのに、人に仏と尊ばれるのは、大きな咎である。必ず臨終は悪いはずのことである。ついでに語って言われた。私の親類の僧の鈴庵は、悪い性分で、手から荷の糸などを出し、さまざまな神通があった。人々はこれを限りなく尊んだ。私は憐れんで、いろいろと意見したが、これを捨てない。そのとき私は大いに憤り、おまえの性分は出家してたちまち狐になる性分だ。以前からの甥を、私がいながら目の前で狐にすることがあろうか。もし還俗しないなら叩き殺すぞ、と言って、無理に医者にさせた。御坊主たち、用心して、人に尊ばれてはならない、と。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『驢鞍橋』卷下一日、去る者来て曰く、何某和尚は、道者と云はれ給ふか、又此頃は悪名世間に語り伝ふと云ふ。師聞て曰く、左も無くして、人に道者と貴はれたる咎遁れ難かるへし。天道是れを許さんや。夫れほど又世間に耻を曝らして、その報ひを返さで叶はす。或は機違ひ、或は死苦病苦强かるへし。総じて徳無くして人に貴はるゝ程の咎なし。又曰く、天然と通力抔有り、奇特の業を作す性は、悪の性、化物性也。たとひ通有りとも、一悪をも断替かする為めにも成るへからす、心は人に易らすして人に貴はるゝこと、大なる咎也。
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『驢鞍橋』卷上師亦曰、其方の性はあぶない性也。人に褒られて頓て鼻を長くし、角をはやしてかけ廻はる性なり。でも其方を褒めぬ人有るへからず。我様にぼつ下して、悪く云ふ者有るへからず。我に逢ひめされたる功徳には、搆へて人に損はれめさるゝなと、是れを授け申すぞと也。晩に至て衆に語て曰、昼の者は理過ぎたる者に非すや、あのやうな格は仏法に入り難し。云へば云ふ程理が長ずる也。あれは棒でなけれは成らぬなり。云ふ程の事を扣き詰め扣き詰めせば、少しは好く成るべし。我師家を立つるならば、接し様もあれどもと也。時に一僧曰、某甲抔はあのやうな病の多き者には出合ふ事もいや也。師聞て曰、我は成程六け敷者が能き也。正三を詰める程の人に逢ひたけれども、無仕合にて今迄合はぬ也。あはれ我をせりつむる人ほしゝと也。
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『驢鞍橋』卷上夜話の次で、去る者或は行脚し或は山居す抔と、様々我行を自讃す。師呵して曰く、其方左様にして何事を仕出したぞ、むだ辛労して詮無き事を耻ぢず、手柄の様に云ふ。人か大略にも思ふかと思つて云ふと見えたり。汝か事を入札にさせば、一人でも能く入るゝものあるべからす、我を知らぬ者哉。因に向衆曰く、総して若き衆もよう心得めされよ、人は能く思はぬに自ら慢して、人もよう思ふと思つてたわけを尽す者也。自分を顧みて余所の笑ひを知るべしと也。
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『驢鞍橋』卷下夜話の次、去る僧曰く、某卵塔塲怖しき故に、機を張り立て、行き習ひ行き習ひして、機の張合の位を仕習ふ也。先つ始めは亡者をおつひしいて行き習ふ。後にも大入道を造立て、かまわず行き廻り行き廻りするに、機をきつと張懸て行けは、是れも自由に行かると云ふ。師聞て曰くおつひしいて行くは慈悲なし。夫れは悪い筋也。なぜ亡者の苦に代り、南無三曼多没駄南梵□□と助けて行き習はんずと也。僧曰く、强い機を受けは、亡者苦を免るべし。師曰く、强い機にても、我弔ひは別也。僧便ちその意を問ふ。師曰くうそうそと弔ふべし。なに音せんずとも、なにこと有らんずともうそうそ也。纔かも念を生して行かば、早や体を造ると也。
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『驢鞍橋』卷上一日或る俗来て曰く、承り及ふ故に是れ迄伺候仕る、一句示し給へ。師曰く、一人虚を伝ふれば、万人実と伝ふとて何者かおどけ者有りて、正三こそ名誉者なれ抔といへば、末々に聞き伝へ、扨は空をも翅り、光をも放つか抔と思ひ、正三見物に来り、変も無き老人なるを見て、皆興を醒さるゝ也。誠に我何の変もなき土禅門也。只死度くも無き間、何とぞして殺さるゝ事有りとも、何とも思はす、頸を指出して自由に死ぬ程に成りたさに修する也。されとも死は置いて餓鬼畜生を出でぬ也。是れを出度く思ふ心は、何とも思はず居る者には增さるへき歟。別に人に增りたる事無し。其方も聞かんと思はゝ一向のしろうとに成りめさるへし。彼者、秘し給ふと思ひ弥示し給へと云ふ。師曰く、我仏法の能き事を知らず、只我悪敷事を能く知りたる也。我友に成り、出入めされば、何時も我処に有る餓鬼畜生を懺悔して聞かせ申すべし。実に是の外によき事を知らず、ひげして云ふかと思ひめされんずな。無間に沈むほうぞ知らぬ也。
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『驢鞍橋』卷上時に或人云、此比去る処に遁世者有り、誠に彼等も異風に見えたり、乍去理を説く事明なり。師聞て曰、云ひ習へば如何程の事も云ふ物也。今時の仏法者理窟に落ちて、是と思ふ諸人も、是れを貴き事に思つて、此人を貴ぶ也。誠に理窟程用に立たぬ物なし、却て大なる怨と成る物也。我も若き時此に錯りたる事有り、必ず理窟に落ちめさるゝなと也。